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織部焼(おりべやき)作品はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です
織部焼(おりべやき)は、豊臣秀吉の茶陶を勤めた古田織部が、好みの茶陶を美濃の地で作らせたことに由来されています。
織部釉を掛ける青織部、総織部や白土と赤土を継いで成形した鳴海織部、青織部に似た黒釉を用いる黒織部などがあり、現代の織部焼も躍動感あふれる絵付が施されるなど織部好みの意匠が受け継がれている織部焼の作品を高価で買取しております。
ぜひ一度、陶器・陶芸に詳しい我楽洞にご相談ください。
織部焼の買取について
織部焼の歴史
桃山時代後期 | それまでにない緑の釉薬(ゆうやく)を使用した織部焼が作陶される。それまでも緑の焼物はあったがすべて自然釉(しぜんゆう)のもので、緑になる釉薬をかけて作られたのは初めてで鮮烈さと豊かさがあるものだった。 古田織部は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えていたが、大阪夏の陣にて家臣の内応が発覚し切腹を命じられた。それにより、古田織部が関わった本当の織部焼は50年あまりで終わった。 だが、古田織部は現代で言うプロデューサー的存在だったため、古田織部から指導を受けた名工達が織部の想像力と創造力に加え「ヘウゲモノ」と呼ばれる歪みに美を見出した特殊な美意識は引き継がれていった。 |
現代 | 単純な筒茶碗から出発して歪み茶碗になり、沓茶碗(くつちゃわん)と呼ばれた織部茶碗などの織部食器。懐石料理で使われる器では、向付、手鉢、鉢に名作が集中している。 それらは食器の基本形である円形を破って様々な形を採用し、現代の織部焼作家(美濃焼)に引き継がれている。 |
織部焼の魅力は、器種、分様、形状が豊富なことに尽きます。器種は茶碗、茶入、水差、花器、皿、鉢、向付、徳利、香炉、香合、硯、水滴などと枚挙に暇がありません。器に描かれている文様も、風景、人物、動植物などが躍動感あふれる筆致で描かれています。また形状も、黒織部、青織部、志野織部、絵織部などと豊富です。
緑釉と鉄絵の文様は極めて抽象的で現代美術に通じます。鳴海織部と呼ばれる手は、赤土と白土をつなぎ合わせて造形し、赤土の部分には透明釉を施釉し白土には緑釉を掛け合わせて焼成します。その為に色彩が器面を二分割しています。
ですがやはり織部焼と言えば「全体に緑だったり、垂れた緑」のイメージが強いです。そのイメージが日本ならではとなったのは、「釉薬が流れるというのが、中国では失敗だと感じたが、日本では器ごとに違う釉薬の流れがある」というところに「変化の美」を感じたのだと言われます。
エキゾチックな緑に憧れた桃山時代の人々が一つとして同じもののない「けしき」を見出します。ですが「緑」の色は、土を選び、釉薬を調合するだけで決まるのではありません。焼成、つまり窯に入れ焼いて初めて、様々な緑色に変化します。窯に入れたら炎の調整の努力はするが、窯に委ねる、窯に任せる、焼き上がりが理想と違ってもそれはそれでよしとします。
釉薬の濃い緑と薄い緑が器の肌で一つの面をなす織部焼の器。豊かな「けしき」は、器をみる側の想像に委ねられ、森の様にも山のようにも見えてくる。これが日本人ならではの美の見つけ方として成り立った「沓茶碗」(くつちゃわん)「へうけもの」の茶碗として破格の形をもたらしています。
織部焼の代表的な有名作家
北大路魯山人
様々な陶器を奇抜・破格の造形で焼いてきた魯山人。だが魯山人は無冠の帝王である。それは、織部の技術で唯一、人間国宝に推挙されたが、あえて断った人物である。相当数の織部焼を焼いているので未だに世間の目に触れていない魯山人の織部焼も多いと言われている。
岡部嶺尾
加藤唐九郎の長男として生まれるが奔放すぎる父より、祖父から学んだ事の方が多いと言われる。祖父に父、二人の師匠により育まれた知識や技術は陶芸家の枠では収まらず、「芸術家」としての作品や名言が残されている。
鯉江良二
織部の技法を多く使うが、織部を専門に作る陶芸家ではない。多彩な技法で器に限らずメッセージを込めた陶の造形作品を発表しつつ、世界各地を飛び回り現地の材料で制作し、現地で発表することを続けている、現代織部の代表作家である
鈴木五郎
織部や志野を手掛けつつ、伝統を意識した桃山風の織部からは想像を絶する「ロス織部」などを制作し、千変万化の魅力を放つ「五郎織部」を作陶している。
鈴木徹
泥刷毛目(どろはけめ)の技法を採用し、力強い独自の緑釉(織部釉)の表現を追求している。轆轤の回転に一気に渦や波濤の文様を施して緑釉を掛け、文様と組み合わさった緑の色彩は、変化に富み、輝くように仕上がる。
織部焼の代表作品
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- 鳴海織部輪花皿
- 桃山時代(17世紀前半)
赤土と白土をつなぎ合わせて成形し、赤土には白土で文様を、白土には緑釉を掛けて、片身替わりにしている。緑釉の掛け残し部分が白く見込みを横切り、デザインを引き締めるとともに鳴海織部の作り方も示している。
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- 黒織部茶碗
- 桃山時代(17世紀前半)
歪みのある沓形(くつがた)の茶碗。口径寸法の縦横の差からも、歪みが大きいことがわかる。しかし持った時には、手のひらに程よく収まる。
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- 織部向付
- 室町時代(15世紀後半)
織部の緑釉と土灰釉との掛け分けが一種独特の景色を作り出している向付。
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- 青織部向付
- 桃山時代(17世紀前半)
轆轤成形後に型打ちした違い菱形の平向付である。体部の左右2方に銅緑釉を掛け分けている。釉を掛け残した窓の部分には鉄絵を施し、長石釉(ちょうせきゆう)を掛ける。底部が扁平にヘラ削りしてあるので、見込みと側部の境に段部を有する。
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- 織部マナ板皿
- 北大路魯山人作
1945年頃
このマナ板皿という造形は魯山人が創作し鉄絵の強弱のあるシンプルな線と、織部の緑がバランスよく配置された傑作です。魯山人の好まない繊細な料理ではなく、シンプルで食材の旨みを生かした思い切りの良い料理に使われることを望まれて焼かれた。
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- 赤織部茶碗
- 江戸時代(17世紀後半)
赤織部とは美濃の織部焼の中で、素地に鉄分を含ませることで赤い色調を出したもの。この茶碗は形をいかにも織部焼らしく歪ませて沓形としている。文様は赤地を生かして白泥を効果的に使い、梅花に重ね裂、さらに間道文様を描く。
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- 於里偏カゴメ花入
- 北大路魯山人作
1948年頃
織部作品の中に辰砂(しんしゃ)の様に赤い発色が多いのも魯山人の登窯(のぼりがま)が還元焼成気味だったことが判るが窯変の美しさと籠目(かごめ)とが相まって織部の釉景(ゆうけい)を彩っている。魯山人は上段にこのような壺を窯詰めすることが多く、炎が走りやすいため、釉調が片身替わりの様に火前が淡い。
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- 青織部塊
- 岡部嶺男作
1955年頃
加藤唐九郎の長男として生まれた嶺男は、現代的な造形物として縄文を再生させた「嶺男縄文」。まるで縄を叩きつけられたような激しい条痕(じょうこん)を見せる作品となっている。「多次元的把握。絵画的造形性と彫刻的造形性が工芸的制約によって同化されたとき工芸的造形が生まれる」この言葉はもはや陶芸家の言葉ではないと言われる。
織部焼作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
織部焼は作家により、茶碗・茶入・花器・皿、そして風景・人物・動植物など作風が豊富に変わってきますが有名作陶家の作品の方が人気が高く査定額も高額になります。
保存状態は査定に大きく影響
作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
所載物・本に出ている作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や本に掲載されていたり、展覧会出店作品は高額買取が可能です。
織部焼作品の買取に関してよくあるご質問
織部焼と言われ譲り受けたのですが、年代も作者もわかりません。出張査定は可能ですか?
我楽洞では、織部焼に詳しい鑑定家がおります。お気軽にお申し付けください。
静岡県浜松からなのですが旧祖母宅から織部焼の様な緑色の食器が三点見つかりました。静岡県でも出張査定は可能ですか?
静岡県。伺います!!日本全国出張査定可能です。
知人の方から譲り受けた茶碗なのですが、自分で調べたところ織部焼のようで色合いが調べたものと違うのですが査定可能ですか?
織部焼にはユニークさや作家の独創性の強い「現代織部」という作品も作陶されています。ぜひ一度ご相談下さい。