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古九谷焼(九谷焼)作品はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です
古九谷焼(九谷焼)は、後藤才次郎が江戸時代前期(1655~)に前田利治の藩命により、鍋島藩有田にて製陶法を学び、加賀の国江沼郡世谷村(石川県江沼郡山中町久谷)の金山で磁器の材料である陶石が発見されたことから、有田の技術を導入して久谷村に窯を築き、磁器の生産が始まったとされる陶磁器です。
我楽洞では古九谷焼(九谷焼)作品の買取を強化しておりますので、買取の際にはぜひご相談ください。どなた様であっても丁寧にご説明、査定を行いますので、初めての方でも安心してご依頼いただけます。
古九谷焼(九谷焼)の買取について
略歴
1665年~ 江戸時代前期 |
後藤才次郎が前田利治の藩命により鍋島藩有田にて製陶法を学んだ。そして加賀の国江沼郡世谷村(石川県江沼郡山中町久谷)の金山で磁器の材料である陶石が発見されたことから、有田の技術を導入して久谷村に窯を築き、磁器の生産が始まった。 |
1710年前後 | 廃窯する。この40~50年の作品が古九谷焼と言われる。 |
1800年頃 | 加賀藩が金沢に春日山窯を開き、その後、民山窯、吉田屋窯、宮本屋窯、松山窯、永楽窯などが次々と興る。これらの窯は「再興九谷」と呼ばれ、現在位の九谷焼につながると言われる。古九谷焼含め九谷焼は約350年の歴史を持ちます。 |
古九谷焼(九谷焼)は、1670年以降、この時期に作られた色絵磁器の中でも、古伊万里(柿右衛門)、色鍋島、京の仁清等に並び高く評価されています。
古九谷焼(九谷焼)は、色絵磁器として鈍い不透明な白地素字に花鳥、山水、風物などをいずれも大胆に濃い彩釉を使用し力強く上絵付をする。又は幾化学文様等も用いて九谷焼様式として独自意匠で展開しています。そして素字を青、緑、紫、黄の彩釉で塗りつぶした「青手」、「塗りつぶし手」という技法も使われています。
九谷焼は呉須と言われ、藍青色で染色し、五彩(赤、黄、緑、紫、紺青)で彩釉を厚く盛り上げて塗り、大胆な上絵付をして色絵としている違いがあります。
九谷の陶器は、還元炎で焼成するといくぶん青みがかかった白になるといわれます。この透明感のある白い器肌が、九谷焼の鮮やかな色絵を一層引き立たせています。
そんな高く評価された九谷焼ですが、50年ほどで廃窯しています。
当時、有田焼、伊万里焼、鍋島焼の売れ行きがよろしくない中、九谷焼は京で陸路にてスムーズに搬出できることや、九谷のある加賀藩が幕府に次ぐ権力を握っていたこともあり順調でした。
幕府は加賀藩の力を分散させるため、加賀藩をあえて分藩させて松平姓を与え九谷との需要を折半に近い形で進められる様に仕向けます。
この幕府と鍋島の計略が成功したから廃窯したと言われています。
鍋島藩は、有田の顧客をごっそり九谷に持っていかれるのを恐れていて、「九谷では色絵は描かない」という密約を交わさせ、本家有田に色絵の発注をさせていたのです。
ですが実状は、有田の古窯、鍋島の古窯共に生産が追い付かず、釉薬の調合も焼成技術もすでに九谷は有田を追い抜いていた為と言われています。
九谷も良い陶磁器、色絵を作陶するのを諦めてはいませんでした。ですが陶磁器製作を教えてもらった忠誠心により九谷焼は、極秘に製造され神社・寺などにに奉納されていました。そして陶磁器の残骸は、九谷窯とは別の場所で内密に処分されていたのです。
寺社への奉納品と別の作品は、闇で極秘に売買されていたが、闇から明るみへの流通により幕府、鍋島藩にすぐに知られてしまう。その為、分藩された大聖寺藩邸は放火され、九谷焼は捨てられたのかのように廃って行った。これが古九谷焼が40年~50年しか焼成されなかった理由なのです。
ですが、その後も少人数での制作は続けられていました。そして、100年以上後にして春日山窯、吉田屋窯などが九谷再興へ尽力し、古九谷以来の九谷焼が国内に留まらず世界の市場を圧倒し、明治の外貨獲得に貢献したのです。
古九谷焼の有名な作家は出てきません。それは後藤才次郎という会社の様な組織で作成していたからです。
古九谷焼(九谷焼)の代表的な現代作家
初代徳田八十吉
鬼仏と呼ばれた初代八十吉。それは鬼のように厳しかった所以であるが厳しさの中にも愛の籠もった指導であったと次世代の八十吉は伝えている。よって徳田家は厳しい指導がなされると有名である。だがその作品は優しさに溢れた柔らかな印象の作品が多い。
三代徳田八十吉
それまでの絵柄ではなく色の配色と色の濃淡(グラデーション)で彩釉し通常よりも100℃以上高い1000℃前後の高温で焼成し深い色味を出すのが特徴の人間国宝である。
三代浅蔵五十吉
初代、二代から受け継いだ色釉を使い、時にはプラチナ等も使います。主に素地は分厚いものを使い、絵柄の輪郭を掘り込み、立体感を出して重厚に仕上げます。五十吉カラ―と言われる「茶」と「黄」が混ざり合った微妙な色を使う、重厚でダイナミックな作陶されている。
三ツ井為吉
古九谷以来の赤、黄、緑、紫、紺青を使う伝統的な九谷焼の原型近い作陶をする。
山本長左
天皇家、宮内庁への納品が多く、藍色が古伊万里を思わせる食器が中心の作家である。
吉田美統
金箔の薄箔・厚箔を使い遠近感を出す釉裏金彩と言われる手法の第一人者です。落ち着いた品格のある美しさは、優美な芸術品として国内外から高く評価されている人間国宝です。
林京子
伝統的な九谷焼とは対極な呉須という藍青色になる顔料を使い、伸びやかに描かれた、動植物の絵柄。白と青というシンプルな色使いゆえに、そのうつわは日々の食卓に違和感なく馴染み、気負わずに使えると大変な人気を博しています。
四代徳田八十吉
父であり人間国宝の、三代徳田八十吉の指導の下、耀彩技術を学び、絵付けの手技・手法を受け継いでいます。やわらかく優しい色合いで、女性ならではの感性が光り、ふわっとした癒しを与えるとして、人気を博しています。
古九谷焼(九谷焼)の代表作品
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- 山水文皿
- (さんすいぶんざら)江戸時代前期作品
太湖石に樹木が林立する様子をデフォルメされた色絵で描き、九谷伝統の窓絵も描かれている。
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- 山水文小皿
- (さんすいぶんこざら)江戸時代前期作品
紫、黄、緑、青で彩られた青手の小皿。縁取りの黄と緑の対比が鮮やかな作品。
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- 色絵葡萄鳥文輪花皿
- (いろえぶどうちょうぶんりんかざら)江戸時代後期作品
目に飛び込んでくる緑、青、黄、赤。白い素地上に施された濃厚な色彩に惹き付けられ、細部に注目すると、線描きには黒、枝には紫が使われています。
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- 竹林七賢人図徳利
- (ちくりんしちけんじんずとっくり)吉田屋窯・江戸後期作品
江戸時代後期の再興九谷の代表的なもので青手を基調にし表面を塗り込まれて文様を表しています。
古九谷焼(九谷焼)作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
古九谷焼(九谷焼)作品は時代により作風や色合いが変わってきます。古九谷としては有名な作家は出ませんが現代作家の人気な作品なら査定額に期待出来ます。
保存状態は査定に大きく影響
作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
専門書・本に出ている作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、美術書・専門書に出ている作品は、高価買取が可能です。
古九谷焼(九谷焼)作品の買取に関してよくあるご質問
石川県小松市に在住の建築業をしている叔父から連絡があり、九谷焼っぽいのを数枚譲ってもらったから送ると連絡がありました。送ってもらったのですがこんな良さそうなお皿はもったいないと思い職場近くの我楽洞さんを思い出しました。九谷焼かはわからないのですが出張査定をお願い出来ますか?
ぜひご相談下さい。近隣でしたら当日にお伺いすることも出来るかもしれません。
私も主人も石川県出身で、この度、家を建て替えることになったのですが、嫁入り道具としてもらってしまいっぱなしの九谷焼が出てきました。鑑定書もあるのですが箱だけは汚れてしまっています。それでも査定買取は可能でしょうか?
はい。可能です。ぜひご相談ください。
古九谷焼、九谷里焼の魅力とは何でしょうか?
九谷焼は呉須と言われ藍青色で染色し、五彩(赤、黄、緑、紫、紺青)で彩釉を描いた色合いと白磁のバランスが良いと言われています。