千葉県浦安市と絵画の歴史
浦安市は千葉県の西部にあり、市の西側を江戸川が流れ、東京都江戸川区と接しています。浦安の地名は、「1889年(明治22年)に浦安村が誕生した際に、浦(海辺)安かれ(穏やかであってほしい)との願いから命名された」、「日本書紀に、日本が昔『浦安の国』と記されていたことから」など諸説あります。
浦安の地に人々が住みはじめたのは平安時代末期ごろとされています。浦安はかつて「行徳」と呼ばれた地域で、江戸時代には製塩が盛んに行われていました。明治時代以降は、のりの養殖やあさり漁で栄え、漁師町として発展しました。戦後は、海面の埋め立てが進められ、宅地や鉄鋼流通基地である鉄鋼団地の開発が積極的に進められました。1981年(昭和56年)に浦安市が誕生します。1983年(昭和58年)に東京ディズニーランド、2001年(平成13年)に東京ディズニーシーが開業して「東京ディズニーリゾート」が形成されると、浦安の知名度は全国的に知られるようになりました。
浦安市には「浦安市郷土博物館」があり、かつて漁業の町だった浦安の生活文化を知ることができる博物館として利用されています。浦安に関する資料を多く収蔵しており、中には「歌川広重」が描いた『江戸名所百景』が収蔵されています。歌川広重は、江戸時代後半に活躍した浮世絵師です。『東海道五十三次』など風景を描いた木版画の作品を数多く制作し、「フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ」や「クロード・モネ」など、海外の画家にも影響を与えたことで知られています。
浦安市に隣接する市川市や江戸川区にもゆかりのある作家が多くいます。市川市には、「市川市東山魁夷記念館」があります。「東山魁夷」は、昭和から平成時代にかけて活躍した日本画家で、市川市に居住しながら作品制作に取り組み、東宮御所や皇居宮殿の障壁画を担当したり、唐招提寺の御影堂障壁画を制作したりしました。「山下清」は、昭和時代に活躍した画家です。市川市内の養護施設に預けられ、ここでの生活でちぎり絵細工と出会い、才能を開花させていきます。戦後は「裸の大将」と呼ばれるようになります。この他に市川市にゆかりのある画家として、洋画家で日展の理事長を務めた経歴をもつ「中山忠彦」、日本画家で神護寺の国宝(伝源頼朝像)の模写を制作したことで知られる「林功」などがあげられます。
江戸川区には「杉山美術館」という小さな美術館があり、明治から昭和時代に活躍した画家・彫刻家の「藤田嗣治」の素描の作品などを所蔵しています。また、江戸川区にゆかりのある画家として、日本画家で「平山郁夫」に師事し、福井県の永平寺、鎌倉市の鶴岡八幡宮などに襖絵を奉納したことで知られる「田淵俊夫」や、明治から昭和時代に活躍した版画家・洋画家で、自由画教育運動や農民美術運動を進めたことで知られる「山本鼎」があげられます。
絵画買取を専門とする我楽洞では、浦安市において希少性の高い絵画作品をはじめ、著名画家が描いた作品を出張買取させて頂いております。その他、遺品整理や生前整理などでお手持ちのお品物を売却される際は、是非お声掛け下さいませ。絵画を専門に数十年に渡る鑑定実績をもつ、熟練の鑑定士が浦安市のご自宅に出張査定させて頂きます。
事前の絵画簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の絵画作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
【浦安市の絵画買取対象作品】
日本画、洋画、現代アート、リトグラフ、掛け軸、浮世絵、版画、仏画、山水画、花鳥画、木版画、屏風、書、襖絵、ガラス絵、板絵、エッチング、シルクスクリーン、色紙、短冊、古文書、和本、手紙、葉書、古書、地図、肉筆、古筆、画賛、版画、油絵、水彩画、中国絵画、中国掛け軸、朝鮮絵画、その他希少価値が高い歴史的な絵画作品、その他有名作家作品
浦安市での強化買取中の絵画作家
東山魁夷
1908年、神奈川県横浜市に生まれた東山魁夷は、兵庫の高校に通っている間に画家になる目標をたて、現在の東京芸術大学の日本画科へ進学します。在学中の1929年の帝展に「山国の秋」を初めて出品し、初入選しました。1960年(52歳)には皇太子殿下の居所である東宮御所、1968年に落成した皇居宮殿の障壁画を担当し、話題となりました。
東山魁夷の作品は日本人の心情を反映させ、自然に対する感情を深く追求し、それを表現しています。画像構成は極めてシンプルとなりますが、幻想的な世界を創り上げています。
中西夏之
1935年東京都品川区に生まれた油彩を持ち味とする現代美術家。未来的でありながら、どこかノスタルジックな風合いも秘めた作風に定評があります。またモダンかつ和風で、緩急剛柔を携える秀逸なバランスも、中西夏之作品における特徴の1つです。油彩画の象徴的な作品として、晩年に手がけた「背・円背後からの白II」が挙げられます。同作品は白ベースのキャンパスに紫の斑点を散りばめた油彩技術が評価され、中西夏之のオークションレコードとされる「約1300万円」の落札価格で話題を集めました。