東京都台東区と絵画の歴史
東京都台東区は、東京23区の中央に位置します。台東区の東側には隅田川が流れ、西側は武蔵野台地の東端になります。台東区の名称は、上野の高台の「台」と上野の東側にある浅草などの下町を連想する「東」を組み合わせたものです。江戸時代になって開発が本格化しました。寛永寺が建立されてから、上野は門前町として発展します。また、江戸時代の浅草は米蔵が設置され、全国各地で栽培された米が集まり、武士への給料としての支払いや米を現金に替えるために多くの人々が集まるようになり、江戸の文化の中心地として栄えました。明治時代以降も、上野や浅草を中心に多くの観光客が集まります。近年では、昔の街並みが残る「谷根千」とよばれる地域(谷中・根津・千駄木)が、新たな観光エリアとして注目されています。
台東区出身の作家として「井上有一」を紹介します。井上有一は、昭和時代の教育者であり書家です。旧下谷区で生まれました。小学校の教員をしながら画家を目指しますが挫折し、書道家に転向しました。東京大空襲に巻き込まれて、一時生死の境をさまよいました。第二次世界大戦後、アートとしての書道を目指しました。海外の作品展や展覧会に多くの作品を出品し、高い評価を受けました。『東京大空襲』『ああ横川国民学校』は、東京大空襲の悲劇をつづった作品です。また、一文字の作品「一字書」も多く発表しました。
台東区名誉区民に選ばれた画家として「平山郁夫」「横山大観」がいます。平山郁夫は、昭和から平成時代にかけて活躍した画家で教育者です。1945年に広島で被曝。この被曝体験が、後の作品制作に大きな影響を与えることになりました。原爆後遺症に苦しみながら、玄奘三蔵をテーマにした『仏教伝来』を発表以後、仏教がテーマの作品を多く制作しました。さらに、仏教から発展してシルクロードへ関心の幅を広げ、たびたびシルクロードの遺跡を訪れました。奈良市にある薬師寺の玄奘三蔵院の壁画『大唐西域壁画』は、シルクロードで見聞したことをもとに描いた作品です。また、後進の育成や社会的貢献にも取り組みました。台東区にある「東京藝術大学」の学長を2度にわたり務めました。1998年には、文化勲章を受章しました。
横山大観は、明治から昭和時代前半にかけて活躍した日本画家です。東京美術学校の1期生として入学しました。同期生には下村観山、2期生には菱田春草がいました。在学中は、岡倉天心や橋本雅邦らの指導を受けました。のちに「朦朧体」とよばれる明確な線や輪郭を表現しない技法の作品を多く発表しました。1937年には文化勲章を受章します。代表作は『瀟湘八景』『生々流転』があり、いずれも重要文化財に指定されています。上野公園のすぐ近くに日本家屋の旧宅があり「横山大観記念館」として公開されています。横山大観の作品をはじめ、交流のあった人物の絵画や書を所蔵しています。
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【台東区の絵画買取対象作品】
日本画、洋画、現代アート、リトグラフ、掛け軸、浮世絵、版画、仏画、山水画、花鳥画、木版画、屏風、書、襖絵、ガラス絵、板絵、エッチング、シルクスクリーン、色紙、短冊、古文書、和本、手紙、葉書、古書、地図、肉筆、古筆、画賛、版画、油絵、水彩画、中国絵画、中国掛け軸、朝鮮絵画、その他希少価値が高い歴史的な絵画作品、その他有名作家作品
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台東区での強化買取中の絵画作家
東山魁夷
1908年、神奈川県横浜市に生まれた東山魁夷は、兵庫の高校に通っている間に画家になる目標をたて、現在の東京芸術大学の日本画科へ進学します。在学中の1929年の帝展に「山国の秋」を初めて出品し、初入選しました。1960年(52歳)には皇太子殿下の居所である東宮御所、1968年に落成した皇居宮殿の障壁画を担当し、話題となりました。
東山魁夷の作品は日本人の心情を反映させ、自然に対する感情を深く追求し、それを表現しています。画像構成は極めてシンプルとなりますが、幻想的な世界を創り上げています。
堂本印象
明治43年に、京都市にある美術工芸学校を卒業後は、西陣織の図案描きの仕事に従事します。数年後、プロの日本画家を目指すため、絵画専門学校に入学し画技を学びました。帝展への出展がメインで、大正8年の入選を皮切りに特選・帝国美術院賞などを受賞し、著名な日本画家の仲間入りを果たします。昭和11年に、母校の京都市立絵画専門学校の教授に就任し、後進の育成にも尽力します。昭和36年には、これまでの画家活動や美術界への功績が認められ文化勲章・文化功労章を受章し、昭和48年には、京都市名誉市民として称号が授与されています。