静岡県静岡市と絵画の歴史
三保の松原や日本平から望む富士山など、古くから“絵になる”風光明媚な景勝地の宝庫として知られる静岡市。浮世絵の東海道五十三次や富嶽三十六景に見られるように、実際に静岡市内に滞在・移住した画家が多いことでも有名です。
東海道五十三次といえば浮世絵師の歌川広重の代表作で、富士山を象徴するように静岡市内にあった宿場町の様子が描かれています。近代の洋画壇を牽引した和田英作も、晩年に静岡市内に移住し富士山に魅了された1人です。
浮世絵師「歌川広重」に影響を与えた人物として、富嶽三十六景を描いた浮世絵師「葛飾北斎」が挙げられます。葛飾北斎は、亡くなるまで3万点以上の作品を世に残したと諸説あり、版画・肉筆浮世絵・銅板画・ガラス絵・油絵など様々な技法を取り入れた絵画を制作しています。又、北斎に影響を受けた人物として世界的に希少価値の高い印象派作家「ゴッホ」は有名です。
近現代では静岡市出身の小栗哲郎が、県史に名を刻む郷土の風景画を残しています。小栗哲郎は中央画壇での活躍を経て、郷里に構えたアトリエから静岡市の絵画文化の発展にも貢献しました。昨今の静岡市では、葵区のアトリエで開かれている絵画教室が人気傾向にあるだけに、どこか小栗哲郎の派生を伺わせるところです。
また静岡市役所内に設けられた「静岡市民ギャラリー」、スタイリッシュかつ“駅チカ”で近未来的な「静岡市美術館」での展示会開催も話題性が高く、近年の静岡市における絵画文化の特徴と言えるでしょう。ちなみに清水区にある「静岡市東海道広重美術館」では、歌川広重が残した東海道五十三次などを1000点以上も所蔵。こうした面にも、静岡市民の絵画に対する関心度の高さが垣間見られます。
静岡市の歴史を語る上で、265年続いた江戸幕府を開いた天下人「徳川家康」を外す事はできません。家康は、幼少・壮年・晩年を3度に渡り駿府(現在の静岡市)で過ごしております。壮年期・伴年期には、駿府城に居をかまえ城下町などを整備し宿場町として栄えた現在に至ります。
そして、家康と縁が深い絵画集団と言えば室町時代~江戸時代末期まで画壇の中核的役割を果たしていた日本絵画最大画派の狩野派です。時代の権力者「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」などの専属絵師で、障壁画・扇面・金屏風・肖像画・漢画・水墨画など様々な種類の絵画作品を手掛けていました。現代においては、狩野派の絵画作品を静岡市駿河区にある静岡県立美術館で見る事が出来ます。
又、開館数十年にして数多くの時代物や作家作品を収蔵しており、17世紀の日本画作家「狩野探幽」「池大雅」「司馬江漢」「歌川広重」「横山大観」や動物と風景を描いた伊藤若冲の「花鳥獣図屏風」など幅広い層のファンに人気です。他にも、静岡県にゆかりのある作家や富士山を描いた絵画作家「東山魁夷」「和田英作」の作品も収集されております。
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静岡市ゆかりの作家のご紹介
歌川広重【江戸時代の浮世絵師】
江戸時代に活躍した歌川広重は、定火消しであった安藤家に生まれ幼少の頃より絵描きに憧れ、15歳にして「歌川豊広」に入門し浮世絵師としてのキャリアをスタートしました。最初は、役者絵や美人画を描いていましたが1828年以降は風景画をメインに描くようになりました。
天保5年頃より発表した「東海道」「江戸名所」シリーズは、歌川広重の名声を決定づけた作品と言われています。又、静岡市清水区由比に日本で初めに開館した東海道広重美術館では、「広重・東海道三役」の異名を持つ「保永堂版」「隷書東海道」「行書東海道」や「名所江戸百景」など14,000点の作品が収蔵されております。
和田英作【東京美術学校校長の経歴を持つ近代洋画の重鎮】
日本の洋画家であり、第6代東京美術学校校長を務めた人物でもあります。青年期に東京白金の明治学院にて洋画の基礎を学び、明治期の洋画家「曽山幸彦」や日本画家「久保田 米僊」に師事し技術を磨いたとされています。1895年に発表した「海辺の早春」は、第4回内国勧業博覧会にて2等賞を獲得しています。1899年頃から、ドイツ・フランス・パリにおいて木炭画・油絵・装飾美術など様々な
ジャンルの技法を学ぶことでアカデミックな洋画描法を取り入れた和田英作オリジナルの作風を築いていきます。又、パリ万国博覧会では「渡頭の夕暮」で選外佳作賞を受賞してます。パリ在住時には、洋画家の「浅井忠」、「岡田三郎助」との交流もあったとされています。日本に帰国後は、名のある博覧会や展示会の審査員を務めながら制作活動も意欲的に行っておりました。
和田が残した作品の中には、帝国劇場の客席天井に制作した「天女の壁画」や赤坂離宮・東京駅の壁画も描いています。画風としては、風景画をメインに風俗画・人物画・静物画・肖像画などを描いたとさせています。1951年に、静岡県静岡市清水市にアトリエを構え富士山や羽衣伝説を好んで描いています。美術業界に多大な功績が認められ、文化勲章・文化功労者としての受賞歴を持つ人物です。
石川欽一郎【台湾美術に影響を与えた西洋画家】
静岡市内の浅間神社近くで誕生した石川は、明治~昭和初期に活躍した水彩画家であり、画風はヨーロッパの水彩技法を独自解釈した風景画を得意としておりました。又、石川は台湾に2度渡り西洋画をはじめて紹介し多くの台湾美術画家を育てた人物です。
大正2年には、「日本水彩画会」の設立にも参画し、日本における水彩画の普及活動や世界で活躍する画家の育成にも貢献していました。日本における日本水彩画会は、数ある絵画団体の中でも最も長い歴史を持っている権威ある会です。