兵庫県神戸市と絵画の歴史
神戸市は、兵庫県の南部に位置し、兵庫県の県庁所在地で政令指定都市です。南側は大阪湾に面し、北側には六甲山地が広がっています。神戸市は、港として古くから発展してきました。飛鳥時代にはすでに港が開かれていましたが、平清盛によって日宋貿易の拠点として整備され大輪田泊とよばれるようになりました。
室町時代には、足利義満による日明貿易の拠点として繁栄しました。江戸時代になると、兵庫津とよばれ、西国各地からの船が大坂に入る前の寄港地として賑わいました。1858年にアメリカとの間で結ばれた日米修好通商条約で開港し、外国との窓口になりました。明治から大正時代には、神戸港はアジアの主要な貿易港としてさらなる発展を続けました。神戸の地名は、生田神社周辺に住む人々は、神社に税を納めたり、神社の役職を務めるなど神社に仕える人々が住み、彼らが住む集落のことを神封戸とよんでいたことに由来します。
神戸市にゆかりのある画家として、「小磯良平」「金山平三」「橋本関雪」を紹介します。小磯良平は、昭和時代に活躍した洋画家です。現在の神戸市中央区で生まれた小磯良平は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)を卒業後、フランスに留学しました。ルーブル美術館など各地の美術館をめぐり、作品鑑賞を多く重ねていきました。帰国した時、日本は戦争への道を進んでいた時で、小磯良平もその影響を受けることになりました。藤田嗣治らと共に中国に渡り、戦争画の制作に取り組みましたが、戦意高揚のために戦争画を描いたことに心が痛む、と晩年に語っています。戦後は、大学教授を務めて後進の指導にあたりました。小磯良平は、女性像や群像を多く描いたことで知られますが、ヨーロッパ絵画の技法を日本の洋画に根付かせるための研究を長く続け、日本の洋画界の発展に大いに貢献しました。「神戸市立小磯記念美術館」には、東灘区に建築したアトリエを移築・復元しています。また、『着物の女』『三人の外国婦人』などの作品のほか、親交のあった武田長兵衛氏が社長を務めた薬品会社の機関紙の表紙に掲載され続けた多くの薬用植物画の作品が所蔵されています。また、神戸市にある「兵庫県立美術館」には「小磯良平記念室」があり、期間限定ですが作品を鑑賞することができます。
金山平三は、明治から昭和時代に活躍した洋画家です。現在の神戸市中央区に生まれた金山平三は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)を卒業した後、パリを拠点にヨーロッパ各地へ写生の旅を続けました。帰国後は、作品展への出品を続けましたが、1935年以降、作品を出品しない時期が続きました。そのため「幻の画家」とよばれることもあります。日本の気候と風土に根ざした風景画や人物画など、数多くの作品を制作しました。「金山平三記念室」が兵庫県立美術館にあり、期間限定で作品を鑑賞することができます。
橋本関雪は、明治から昭和時代にかけて活躍した日本画家です。現在の神戸市中央区で生まれた橋本関雪は、東京と京都で活動しました。中国の古典文学や風物を題材にした作品を多く描き、「新南画」とよばれる作風を確立しました。また、建築や造園にも関心があり、京都市の銀閣寺前の白沙村荘に住みながら、大津市、明石市、宝塚市に別邸を造営しました。
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【神戸市の絵画買取対象作品】
日本画、洋画、現代アート、リトグラフ、掛け軸、浮世絵、版画、仏画、山水画、花鳥画、木版画、屏風、書、襖絵、ガラス絵、板絵、エッチング、シルクスクリーン、色紙、短冊、古文書、和本、手紙、葉書、古書、地図、肉筆、古筆、画賛、版画、油絵、水彩画、中国絵画、中国掛け軸、朝鮮絵画、その他希少価値が高い歴史的な絵画作品、その他有名作家作品
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神戸市での強化買取中の絵画作家
小磯良平
1903年兵庫県神戸市に生まれた小磯良平は洋画家、具象絵画の巨匠と呼ばれ、女性像を中心とする“正確なデッサン”と“美しい筆勢”が特徴。庶民感覚ながらモダンな気品も持ち合わせる、伝統的な西洋絵画を画風としています。代表作品「椅子にかける女」同シリーズではモノクロが多くあるなか、希少なカラーバージョンの作品です。「裁縫する女」小磯作品の20選に入るといわれている「裁縫する女」。人気作品です。「赤い帽子とヴァイオリンと西洋人形」小磯作品の主流である人物画とは一味違った、モダンなテーマに定評があります。
金山平三
1883年兵庫県神戸市に生まれます。若くして帝展審査委員を務め、帝室技芸員にも選ばれた大正・昭和期の洋画家です。晩年は世俗的な名声を捨てて、山形の奥地で隠棲生活を送り、「大石田の最上川」を代表する、雪を描いた名画を多く残しています。代表作品「寄セ波」漁場を描いた作品が多いなか、単体の風景画として残したものが寄セ波です。「田代湖」山村生活を象徴する、自然風景を描いた「田代湖」。