福岡県北九州市と絵画の歴史
北九州市は、福岡県の北東部に位置し、福岡市に次いで人口が多い政令指定都市で、門司区、小倉北区、小倉南区、若松区、八幡東区、八幡西区、戸畑区の7区で構成されます。関門海峡に面し、対岸には山口県下関市があります。関門海峡を挟んで本州と接していることから、古くから九州の玄関口や交通の要衝としての役割がありました。平安時代の末期に、歴史の教科書でおなじみの「壇ノ浦の戦い」が関門海峡でありました。江戸時代には小倉に城が築かれました。明治時代になると、1901年(明治34年)に八幡製鉄所が操業を開始したことを契機に、鉄鋼、化学、窯業、電機などの産業が集積するようになり、北九州工業地域(地帯)が形成されました。高度経済成長期には、大気汚染や水質汚濁などの公害が深刻化しましたが、現在では「グリーン成長都市」をコンセプトにしたまちづくりが進められています。北九州市は1963年(昭和38年)に誕生し政令指定都市に移行した際に、市名の住民公募の結果を参考に「北九州」の市名が採用され、現在に至ります。
北九州市にゆかりのある作家として「田淵安一」「寺田政明」を紹介します。田淵安一は、昭和から平成時代にかけて活躍した抽象画家です。現在の北九州市で生まれた田淵は、幼い頃から海外の絵画に影響を受け、東京大学に入学し「猪熊弦一郎」の指導を受けます。以後、フランスに渡り画家としての活動を続けます。フランスでの活動中には「岡本太郎」「今井俊満」らと交流を深めました。
寺田政明は、昭和時代に活躍した洋画家です。現在の北九州市で生まれた寺田は、「池袋モンパルナス」の一人であり、日本におけるシュルレアリスム絵画の代表者の一人として知られています。池袋モンパルナスに関わった作家として「小熊秀雄」「松本竣介」「熊谷守一」などがいます。
田淵安一、寺田政明の作品は「北九州市立美術館」に収蔵されています。このほかに北九州市立美術館に収蔵されている作家としては、「萬鉄五郎」「吉田博」「月岡芳年」「鈴木春信」「小林清親」「喜多川歌麿」「岸田劉生」「葛飾北斎」「歌川広重」「ピエール・オーギュスト・ルノワール」「クロード・モネ」などがあげられます。北九州市立美術館のほか、北九州市には、公益財団法人出光佐光記念美術館が運営している「出光美術館(門司)」があります。主に日本の書画などを展示している美術館で、収蔵している作家として「雪舟」「狩野芳崖」「田能村竹田」「俵屋宗達」「尾形光琳」「酒井抱一」「長谷川等伯」「池大雅」「ジョルジュ・ルオー」などがあげられ、「宮本武蔵」の水墨画もコレクションの中に含まれています。
絵画買取を専門とする我楽洞では、北九州市において希少性の高い絵画作品をはじめ、著名画家が描いた作品を出張買取させて頂いております。その他、遺品整理や生前整理などでお手持ちのお品物を売却される際は、是非お声掛け下さいませ。熟練の鑑定士が北九州市のご自宅に出張査定させて頂きます。事前の絵画簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望の絵画作品の画像をお送り下さいませ。お品物のご説明と簡易査定額をご提示させて頂きます。
【北九州市の絵画買取対象作品】
日本画、洋画、現代アート、リトグラフ、掛け軸、浮世絵、版画、仏画、山水画、花鳥画、木版画、屏風、書、襖絵、ガラス絵、板絵、エッチング、シルクスクリーン、色紙、短冊、古文書、和本、手紙、葉書、古書、地図、肉筆、古筆、画賛、版画、油絵、水彩画、中国絵画、中国掛け軸、朝鮮絵画、その他希少価値が高い歴史的な絵画作品、その他有名作家作品
北九州市での強化買取中の絵画作家
梅原龍三郎
1888年京都市下京区の染呉服業の子として生まれ、洋画家の浅井忠の画塾「聖護院洋画研究所」で絵画を学びます。1908年、20歳のときにフランスに留学し、パリの私立美術学校であるアカデミー・ジュリアンに通います。帰国後しばらくすると美術団体の春陽会の設立に参加したり、国画創作協会に合流するなど積極的に美術界の発展に貢献します。
東京藝術大学の教授を務め、文化勲章受章、フランス政府より文化勲章を受章、代表作は「浅間山 噴煙」「桜島」など多数。日本とフランスを行き来しフランスでの油彩画の技法と日本の美術技法を組合せ、独特なダイナミックさで人気を博します。
棟方志功
1903年、青森県生まれの版画家です。小学校ときには同級生に凧絵を描き、絵に対する興味を高めていました。25歳のとき、第9回帝展に出品した「雑園」(油絵)が入選。その後、文化学院で美術の教師として勤務します。1936年(33歳)、国画展に出品の「大和し美し」が出世作となり、多くの美術家、文化人と知り合うことになります。
版画作品が最も有名ですが、油絵、倭画、書、詩歌など版画以外にも多くの傑作を残しています。棟方志功は、ゴッホの作品に衝撃を受けて「わだばゴッホになる」と本格的に画家を志したと言われています。代表作「観音経板画柵」「門世の柵」など