広島県広島市と絵画の歴史
広島市は広島県の西部に位置し、広島県の県庁所在地です。広島市は政令指定都市で、中区、東区、南区、西区、安佐南区、安佐北区、安芸区、佐伯区の8区から構成されています。
広島の地名の由来は、戦国時代の武将、毛利輝元が広島城築城の際に命名したといわれています。毛利氏の祖先である大江広元の「広」と、この地の戦国時代の武士である福島元長の「島」を合わせて名付けた、と伝えられています。毛利氏が広島の地に入るまで、広島は農村が広がっていました。16世紀末に毛利輝元が広島に入り、市内を流れる太田川を干拓して築城を開始したのをきっかけに、市街地が形成されます。江戸時代には、広島藩の城下町として発展しました。明治時代になると、陸海軍の拠点が集中する軍事都市となりました。1889年(明治22年)に、広島市が誕生します。1945年(昭和20年)に原子爆弾が投下され、市街地は一瞬で破壊されました。戦後復興を経て、1980年(昭和55年)には、政令指定都市に移行します。現在では、中国・四国地方で最大の人口を有する都市となり、中国・四国地方の政治・経済の中心としての役割を担っています。
広島市にゆかりのある画家として「丸木位里(まるきいり)」「平山郁夫(ひらやまいくお)」を紹介します。丸木位里は、昭和から平成時代にかけて活躍した日本画家です。現在の広島市で生まれた丸木は、戦前は抽象画やシュレアリスムを取り入れた作品を発表しました。広島への原爆投下の際は、被曝直後の広島に入り救援活動に参加しました。その後、妻の「丸木俊(まるきとし)」とともに、連作の『原爆の図』を制作しました。原爆の図は、日本や世界各地で展示されることとなりました。1967年(昭和42年)に、この時居住していた埼玉県東松山市に「原爆の図丸木美術館」が開館します。後半生は、原爆に限らず、戦争の実相や公害問題などを主題にした作品を制作し続けました。原爆の図の集大成を位置付けた壁画『原爆-ひろしまの図』は、南区にある「広島市現代美術館」に収蔵されています。丸木位里の他に広島市現代美術館に収蔵されている作家として、「岡本太郎」「草間彌生」「白髪一雄」「高松次郎」「田中敦子」「中西夏之」「奈良美智」「村上隆」「元永定正」「李禹煥」などがあげられます。
平山郁夫は、昭和から平成時代にかけて活躍した日本画家です。現在の広島県尾道市で生まれた平山は、広島市内の中学校に在学中に被爆します。この時の体験が、のちの活動の原点になりました。東京美術学校(現在の東京藝術大学)を卒業後、院展に出品した作品が次々と入選します。1960年代以降は、仏教を題材にした作品が多くなります。シルクロードや中国の遺跡を訪ね、奈良市にある薬師寺玄奘三蔵院の壁画や、奈良県斑鳩町にある法隆寺金堂の壁画の模写などの作品制作に反映させました。また、後進の指導や文化財修復事業にも積極的に関わりました。その功績が認められ、1998年(平成10年)には文化勲章を受章し、広島市名誉市民にも選ばれました。
平山郁夫の作品は、生まれ育った尾道市瀬戸田町にある「平山郁夫美術館」や広島市中区にある「広島県立美術館」に収蔵されています。平山郁夫の他に広島県立美術館に収蔵されている作家として、「藤田嗣治」「吉田博」「川瀬巴水」「金島桂華」「横山大観」などがあげられます。
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【広島市の絵画買取対象作品】
日本画、洋画、現代アート、リトグラフ、掛け軸、浮世絵、版画、仏画、山水画、花鳥画、木版画、屏風、書、襖絵、ガラス絵、板絵、エッチング、シルクスクリーン、色紙、短冊、古文書、和本、手紙、葉書、古書、地図、肉筆、古筆、画賛、版画、油絵、水彩画、中国絵画、中国掛け軸、朝鮮絵画、その他希少価値が高い歴史的な絵画作品、その他有名作家作品
広島市での強化買取中の絵画作家
草間彌生
1929年(昭和4年)長野県松本市に生まれた現代アート作家。幼少時から幻覚や幻聴が聞こえ、それから逃れるため絵を描き始めます。彼女の代表的なモチーフの「水玉模様」は小学5年生の時から描き始めており、28歳でアメリカにわたり、地道な活動により少しずつ知名度を上げていきました。
作品は世界でも評価が高く、日本だけに限らず世界中で200回以上の個展を開催しています。これだけの個展を開催している日本人作家は草間彌生だけと言われています。日本が誇る現代アート作家です。
田中敦子
1932年大阪府に生まれ、具体美術協会の初期メンバーとして、戦後の前衛美術運動を牽引した女性の第一人者です。具体表現で突出した独創性を発揮したのち、それを平面に反映させるべく画家に転身しています。1980年代以降は国内で数々の功績を収め、1990年代には海外進出も果たしました。
2000年代に入っても引き続き精力的な活動を見せていたものの、2005年に肺炎を患いこの世を去ることに。2007年と2012年には海外で展示会が開催され、いまだに多くのファンにその強烈なインパクトを与え続けています。