塚田秀鏡について
塚田秀鏡(つかだ しゅうきょう)は、明治時代~大正時代にかけて活躍した彫金家です。帝室技芸員にも選出され他人物で、号は真雄斎です。
1848年東京神田に生まれた塚田秀鏡は、装剣金工である畑直鏡の養子となり、後に塚田姓への改姓を行っています。加納夏雄と勝見完斎より彫金を学び、柴田是真からは絵を学びます。
天皇太刀の彫刻を手掛け、勧業博覧会や海外の博覧会には優れた彫金細工を出品していました。1893年のシカゴ万国博覧会と1900年のパリ万国博覧会で受賞、1904年のセントルイス万国博覧会では金賞を受賞、1910年の日英博覧会展でも受賞するなど、輝かしい成績を多数収めます。
塚田秀鏡の代表作には東京国立博物館に所蔵されている「桜花山鵲図鐔」や「竹林図煙草入」、「海老図煙草箱」などがあります。塚田秀鏡の作品は細部まで細かく彫り込まれており、時折あしらわれている金がアクセントとなっていることが特徴的です。特に置物や額、煙草入などの小さな作品の制作を得意としており、残されている作品はこういった作品が多いのも特徴です。塚田秀鏡の作品は、つくられた当時に人気があったことはもちろんですが、繊細な彫金細工は現代でも高く評価されています。
略歴
1848年 | 東京神田に上州館林秋元藩の藩士で泉龍鞘巻の大家・土肥義周の次男として生まれる |
1893年 | シカゴ万国博覧会に出品し受賞 |
1900年 | パリ万国博覧会に出品し受賞 |
1904年 | セントルイス万国博覧会に出品し金賞を受賞 |
1910年 | 日英博覧会展に出品し受賞 |
1913年 | 帝室技芸員となる |
1918年 | 死去。享年71歳 |