田辺竹雲斎について
田辺竹雲斎(たなべ ちくうんさい)は、堺の竹工芸家で襲名されている名前です。ある程度の実績を積むと田辺竹雲斎を襲名するので、日本伝統文化である歌舞伎や落語家と似ている部分があります。
初代の田辺竹雲斎は、1877年に兵庫県尼崎市に三男として生まれ、12歳で大阪の名工「和田和一斎」に弟子入りして24歳で独立しています。立体作品やインスタレーションといったアートは高く評価されていて、大正天皇大阪行幸の際には2作品を献納、パリ万国装飾美術工芸博覧会では柳里恭花籃が銅賞を獲得しています。
現在当主の四代目田辺竹雲斎は、1973年に三代田辺竹雲斎の次男として生まれ東京芸術大学美術学部彫刻家を卒業した後に三代目田辺竹雲斎のもとで修行をし2017年に四代田辺竹雲斎を襲名します。
個展「田辺小竹展」は国内外から高い評価を獲得していて、中でも四代目の田辺竹雲斎の展覧会「つながり-循環-」は深いテーマを感じさせる作品の数々で見る者を圧倒しています。「つながり-循環-」は「創造と破壊」「つながりを意識した相互連関」をテーマにしていて、海外でも個展を開くほどの人気となっています。
略歴
初代 田辺竹雲斎
1877年 | 兵庫県尼崎市の尼崎藩の御殿医の三男として生まれる |
1890年 | 初代和田和一斎に師事 |
1901年 | 24歳の時、独立し竹雲斎の号を譲り受ける |
1903年 | 第5回内国勧業博覧会に出品し初入選 |
1910年 | 堺に居を移す |
1914年 | 大正天皇大阪行幸の際、2作品が献納された |
1925年 | パリ万国装飾美術工芸博覧会に出品した「柳里恭花籃」が銅賞を受賞 |
1932年 | 堺市より内務省に名工として推薦を受ける |
1937年 | 自宅にて死去。享年60歳 |
四代 田辺竹雲斎
1973年 | 大阪府堺市に三代田辺竹雲斎の次男として生まれる |
1999年 | 東京藝術大学美術学部彫刻科を卒業 |
1999年 | 大分県竹工芸訓練支援センターで2年間基礎技術を研修 |
2006年 | 「田辺小竹」を襲名 |
2010年 | 工芸の国際展「Modern Master」で最高賞のバイエルン賞を受賞 |
2016年 | フランス国立ギメ美術館で日本人初のインスタレーション作品として「五大」を発表 |
2017年 | 四代田辺竹雲斎を襲名 |
2022年 | 芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞 |