平良敏子について
平良敏子(たいら としこ)は、芭蕉布を復活させた日本の染織家の一人です。無形文化財の保持者(人間国宝)としても広く知られています。
平良敏子は1921年2月14日に沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉に生まれます。祖父も父も芭蕉布で事業を拡大しており幼少期は裕福な家庭で育ちます。母親も芭蕉布を織っていたので幼い頃はその姿を眺めて育ち、10歳頃から芭蕉、絹などの制織技術を母より学びます。子供の体格で糸が切れやすい芭蕉布を織るのは難しかったため、当時は木綿や絹を織っていたそうです。小学校を卒業する頃、祖父の死と不況に伴い事業が傾いた事を受け敏子は仕事を求め上京し、1994年には第4次沖縄県勤労女子挺身隊に参加し岡山県倉敷市にある航空機製作所で働き始めます。
1945年8月の終戦で製作所の作業は中止になった後、社長の大原総一郎は沖縄の文化を倉敷に残したいと、染色家の外村吉之介指導のもと、織の勉強会を開きます。平良敏子は外村吉之介より、手織、組織織などの技術を学びます。
敏子は1946年に沖縄に帰郷すると芭蕉布の復興に努めます。「喜如嘉芭蕉布工業組合」を設立し、工業振興助成金などの助成金を使い芭蕉布の仕事に携わる人々の人件費と後身の育成に尽力します。芭蕉布の復興への貢献によって、1965年には初めて沖縄タイムス文化賞を受賞しました。日本国内だけではなく海外からも高い評価を得ています。
1972年には沖縄県指定無形文化財「芭蕉布」の保持者に認定され、1974年には「喜如嘉の芭蕉布保存会」国の重要無形文化財保持団体に認定されます。また、2000年には重要無形文化財「芭蕉布」技術保持者(人間国宝)に認定されるなど、さまざまな賞を受賞した有名な染色家になります。
略歴
1921年 | 沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉の旧家に生まれる |
1944年 | 第4次沖縄県勤労女子挺身隊に参加 |
1946年 | 岡山県にて染織家・外村吉之介に師事 |
1946年 | 沖縄へ帰郷 |
1951年 | 群島政府主催の産業振興共進会で一等を受賞 |
1954年 | 島生産愛用運動週間で優秀賞を受賞 |
1963年 | 芭蕉布織物工房を開く |
1965年 | 沖縄タイムス文化賞受賞 |
1972年 | 県指定無形文化財「芭蕉布」の保持者に認定 |
1973年 | 労働大臣より卓越技能賞受賞(現代の名工) |
1974年 | 喜如嘉の芭蕉布保存会の代表となる |
1974年 | 「喜如嘉の芭蕉布保存会」が国の重要無形文化財保持団体に認定される |
1980年 | 日本工芸会の正会員となる |
1984年 | 喜如嘉芭蕉布事業協同組合を設立 |
2000年 | 重要無形文化財「芭蕉布」技術保持者(人間国宝)に認定 |
2002年 | 勲四等宝冠章 |