鈴木東谷について
鈴木東谷(すずき とうこく)は幕末明治に活躍した根付師です。本所林町(現在の墨田区立川)の木炭商の子として誕生し、幼名は鉄五郎と名乗っていました。
生年については正確な資料がありませんが、明治12年に編纂された「東京名工鑑」には34歳と記録されていることから1845年生まれと考えられています。「東谷」の名前の由来は、生を当時の東宰府天満宮(現在の亀戸天神社)の氏子に受けたこと、書を東珂という師に学んだことなど「東」に因むことが多いことから、居住していた「東谷」を名乗ることとしたといわれています。
13歳で父と死別し孤児として取り残されると父の知人の古物商に就いて奉公に入り、主に美術彫刻物を取り扱います。その後19歳のときに根付彫刻の勉強を始めますが、志したきっかけは古物商の奉公のなかで美術彫刻の趣味を覚えたことでした。
明治維新後は根付の需要が著しく減退し、他のほとんどの根付師が置物や煙管筒などの製作に変化していたころ、独学で「時代彫り」と呼ばれる古いタイプの彫刻を研究し製作を始めます。その作風は細密彫刻で、牙彫の印籠など数多くの根付師の中でも一目置かれる存在で、当時から最も優秀な根付師として国内はもちろん、海外でも高く評価されていました。
初期の作品には、いわゆる浅草スタイルと呼ばれる鹿角の煙管筒や柳左根付が数多く残されており、晩年には金石彫刻も制作するなど、木牙角金石いずれの素材でも巧みに使いこなし、素彫のみならず数種の素材を組み合わせて彩色したものなど、小さく端正にまとめた作品は現在でも高い評価を得ています。
略歴
1845年 | 江戸本所林町(現在の東京都墨田区)に生まれる |
1858年 | 父と死別。父の知人の古物商に入る |
1864年 | 開業。浅草馬道町に転居 |
1913年 | 死去。享年68歳。東谷二代目に継承 |