六角紫水について
六角紫水(ろっかく しすい)は、明治・大正・昭和時代を通して活躍した有名な漆芸家です。東京美術学校教授や帝国芸術院会員などを歴任して近代漆芸史に多大な影響を与えた人物としても知られています。
六角紫水は瀬戸内海に浮かぶ能美島の大原村の出身で、1883年東京美術学校漆工科を第1回卒業生として卒業します。1896年より古社寺保存会の調査に参加していて、文化財の国宝指定に貢献しました。1904年には岡倉天心と共に渡米を果たし、ボストン美術館で館蔵の漆芸作品の整理と修復を担当をしました。後にメトロポリタン美術館勤務し、1908年に渡欧してロンドンやパリやドイツなどのヨーロッパの国々をめぐり、ロシヤ・清国を経て帰国をしています。
帰国後は、母校で後進の指導に当たることになります。中尊寺金色堂や厳島神社殿の修復・白漆や漆色の発明や改良・アルマイトへの漆の応用などにも努めており、輝かしい功績を残しています。六角紫水の代表作品である「暁天吼号之図漆器」は、1930年、第11回帝展に出品して帝国美術院賞を受賞しており、「かきつばたの図」と「硯箱」の2つの作品は江田島市の重要文化財の指定を受けています。
1925年パリ万国博覧会では「抹金鏤蓬莱山厨子棚」が名誉大賞を受賞しており、世界にも認められた漆芸家になります。また紫水は、かの有名なキリンビールの麒麟をデザインした人物だとも言われています。六角紫水は、漆芸・伝統技法の研究と継承・文化財保護など多岐にわたる業績を残した日本の漆工芸界の草分け的存在になり、漆工の近代化への道を開いた人物になります。
略歴
1867年 | 広島県佐伯郡(現広島県江田島市)に生まれる |
1883年 | 広島師範学校初範科を卒業 |
1893年 | 東京美術学校(現・東京芸術大学)漆芸科を卒業 |
1893年 | 東京美術学校(現・東京芸術大学)漆芸科助教授に就任 |
1898年 | 日本美術院の創立に参加 |
1904年 | 渡米 |
1908年 | 帰国 |
1924年 | 東京美術学校(現・東京芸術大学)漆芸科教授に就任 |
1925年 | パリ万国博覧会に出品し名誉大賞を受賞 |
1927年 | 帝展審査員 |
1950年 | 死去。享年66歳 |