大島如雲について
大島如雲(おおしま じょうん)は明治時代から昭和時代の初期にかけて活躍した鋳金家で、東京美術学校の教授も務めた人物です。
大島如雲は、1858年に鋳金師大島高次郎の子として生まれ、本名は大島勝次郎と言います。亡くなったのは1940年のことで、昭和時代の初期に亡くなりました。
大島如雲が鋳造に関する基本的な技術を学んだのは鋳金師である父親でした。大島如雲の父親は大島高次郎という人物で、如雲はこの父親から鋳造に関する基礎的な技術を教えてもらいました。
如雲は、数多くの有名な作品を制作しましたが、その中でも特に有名なものの一つが、1881年の第2回目の内国勧業博覧会に出品した「竜神」です。この作品は高村光雲と共同で制作されたものでした。1900年にはパリ万国博覧会にも作品を出品していて、この時に製作されたのは「稲穂群雀」という作品で金賞を受賞しています。
如雲が作り出す作品は、細かい部分までしっかりと作られた蝋型鋳造が多く東京国立博物館で展示されている「鯉置物」という作品も、彼の代表作の一つです。「濡獅子図額」も彼の有名な代表作です。
大島如雲は、自身でさまざまな作品を制作しただけでなく、1890年から1932年までの間、東京美術学校で教師として後進の指導にもあたっています。
略歴
1858年 | 鋳金師大島高次郎の子として江戸小石川に生まれる |
1877年 | 20歳で家業を継ぎ「如雲」と名乗る |
1881年 | 第2回内国勧業博覧会に「龍神」を出品 |
1890年 | 東京美術学校で教鞭をとり始める |
1900年 | パリ万国博覧会に出品した「稲穂群雀」が金賞を受賞 |
1918年 | 東京美術学校の教授に任命される |
1940年 | 死去。享年83歳 |