濤川惣助について
濤川惣助(なみかわ そうすけ)は、幕末明治に活躍した七宝家です。同じ七宝家の並河靖之とともに「東京の濤川、京都の並河」と称され、帝室技芸員に任命された人物です。
下総海上郡(現在の千葉県旭市)の農家の次男として誕生し、陶磁器等を扱う商人として生計を立てることとなります。しかし1877年の第1回内国勧業博覧会を鑑賞した結果、七宝の素晴らしさに気付いて七宝家の道に進むことになります。
同年、ドイツのアーレンス商会が保有する七宝工場を買い取り、無線七宝という新技術を編み出します。その後、七宝家として数々の博覧会に商品を出展して多くの賞を受賞し輝かしい成績を多数収め躍進を続けます。1881年の第2回内国勧業博覧会では名誉金牌、アムステルダムやロンドンの万博でも快進撃を続け、1889年のパリ万国博では名誉大賞を受賞したのです。
また、盟友として名高い並河靖之とともに七宝界の天才として評価されていました。二人は七宝作家の中で明らかに突出した存在であり、海外でも抜群の知名度を誇っています。国宝レベルといわれる作品の数々はどれも傑作ですが、そのなかでも迎賓館赤坂離宮に飾られている「七宝花鳥図」は濤川惣助の傑作品のひとつです。見る人すべてを魅了するテイストは、まるで生きているか錯覚を生み出します。細かく重ねられた羽にはさまざま技法が用いられているのです。
1893年のシカゴ・コロンブス万国博覧会に出展した「七宝富嶽図額」は2011年に重要文化財の指定されています。1910年に63歳で肺炎にかかり亡くなりましたが、さまざまな作品で新境地を切り開き、素晴らしい作品を残した七宝家であり現在でも高い評価を得ています。
略歴
1847年 | 下総海上郡(現・千葉県旭市)に生まれる |
1877年 | ドイツのアーレンス商会の七宝工場を買収 |
1879年 | 無線七宝を発明 |
1887年 | 名古屋の大日本七宝製造会社の東京分工場を買収 |
1889年 | パリ万国博にて名誉大賞を受賞 |
1890年 | 第3回内国勧業博覧会に出品した「七宝貼込屏風」が妙技二等賞を受賞 |
1893年 | シカゴ・コロンブス万国博覧会に「七宝富嶽図額」を出品 |
1895年 | 緑綬褒章を受賞 |
1896年 | 帝室技芸員に任命される |
1900年 | 第5回パリ万国博に出品した「七宝製墨画月夜森林図額」が大賞を受賞 |
1904年 | セントルイス万国博覧会で金賞を受賞 |
1910年 | 死去。享年63歳 |