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松田権六作品はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です
蒔絵師であった松田権六(まつだ ごんろく)の作品は茶道具として使用する棗(なつめ)や飾り箱などの作品を数多く残しています。我楽洞では現在、松田権六の作品を高額で買取しております。買取依頼の際はぜひ我楽洞にお任せください。
我楽洞では、松田権六の作品の買取を強化しておりますので、ぜひご相談ください。
どなた様であっても丁寧にご説明、査定を行いますので、初めての方でも安心してご依頼いただけます。
松田権六作品の買取について
略歴
1896年 | 石川県金沢市に生まれる。 |
1903年 | 仏師職人の兄孝作について蒔絵の修行を始める。 |
1914年 | 東京美術学校漆工科に入学。 |
1919年 | 卒業後、志願兵として1年間入隊。 |
1921年 | 除隊後、朝鮮楽浪遺跡の出土漆遺品の修理を始める。 |
1925年 | 六角紫水教授らの推薦で株式会社並木製作所に入社。 |
1927年 | 並木製作所を退職し顧問となる。「東京美術学校」助教授就任。 |
1943年 | 「東京美術学校」の教授を務める。 |
1947年 | 帝国美術院(日本芸術院と改称)会員となる。 |
1955年 | 重要無形文化財「蒔絵」保持者の認定(人間国宝)を受ける。 |
1962年 | 日本工芸会理事長となる。 |
1976年 | 文化勲章受章。 |
1978年 | 金沢市名誉市民となる。 |
1986年 | 逝去。享年90歳。 |
松田権六(まつだごんろく)は1896年に石川県金沢市に生まれた蒔絵師です。日本だけでなく、海外でも人気が高く、名匠として「漆聖」とも呼ばれました。権六が制作した棗には格式高い模様を楽しむと同時に愛らしさを感じることができます。また、ドイツ皇帝が詔勅など公文書にサインする際に使用された蒔絵万年筆(ダンヒル・ナミキ)の製作を指導した事もあります。
松田権六は、7歳の時に仏壇職人であった兄から漆芸の基礎を学びはじめました。その後、東京美術大学に入学し、日本画、彫刻、油絵を学び、自身の腕を磨きました。卒業制作で満点をもらった時、権六は先生に「美術に満点はない」と減点を申し入れたという話もあります。
23~25歳の間は陸軍に従事。29歳の時には漆工芸品を制作していた株式会社並木製作所(現:パイロットコーポレーション)へ入社し職人として働き、万年筆や喫煙具関係などの制作に取り組みました。そして2年後には顧問に就任しました。
31歳には、東京美術学校で教鞭を取り、47歳で東京美術大学教授に就任しました。1955年(59歳)に文化財保護委員会より重要無形文化財(人間国宝)の認定を受けました。1986年に90歳で逝去。
松田権六の代表作品
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- 赤とんぼ蒔絵箱
- 赤とんぼが葦の花の中を飛んでいます。風に揺られているかのような表現が魅力的です。
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- 鶴亀蒔絵盤
- 古来より縁起が良く、めでたいとされていた鶴と亀をあしらった作品です。
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- すだれ蒔絵盤
- 黒漆地に風で左方になびいた白い花(玉すだれ)が表されている蒔絵の文盤です。
松田権六作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
松田権六の作品はどれでも人気が高くなっています。特に飾り箱や棗、お椀は高価で買取が可能です。
保存状態は査定に大きく影響
作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
共箱は一緒に
茶碗を入れる共箱は一緒にご提示ください。もしも共箱が無い場合には買取価格が下がってしまうことがあります。
所載物・本に出てる作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。
松田権六作品の買取に関してよくあるご質問
数年前に他界した祖父が残した茶道具を査定頂きたいと考えておりますが、いかがでしょうか?
我楽洞では一点一点、お品物を大切に扱い丁寧に査定させていただいております。ぜひご依頼ください。