前田竹房斎について
前田竹房斎(まえだ ちくぼうさい)は、堺の竹工芸家で明治時代から襲名されている名前です。初代は高級花籃の名工として有名であり、二代目田辺竹雲斎は重要無形文化財「竹工芸」保持者(人間国宝)として広く知られています。
初代前田竹房斎は、1872年に堺市平井に生まれ、1887年頃に竹工芸家の三世早川尚古斎に認められて独学で竹芸を学んだ人物です。明治の末期頃、初代田辺竹雲斎がおこなうヨーロッパ向けの輸出品制作に携わり作品を制作していましたが第一次世界大戦の影響で事業が縮小してしまいます。1919年に同郷出身の鈴木貫太郎の推薦により、白川宮殿下への献上品の制作を開始します。以降も皇族に多くの作品を献上します。
二代前田竹房斎は、1917年に初代竹房斎の四男として生まれ、18歳で初代竹房斎に師事しています。ところが20歳で召集され修行の途中で兵役につくこととなり、その後復員しますが、初代が病床に臥せっていた為、初代の弟子や職人に学び、初代と同様に独学で竹工芸の研鑽を積みました。
1952年に二代目を襲名してからは天皇陛下、皇后陛下への献上品制作で栄誉を得るなど活躍します。
無冠の名工だった初代に対し、二代目は自らを工芸作家として積極的に展覧会を目指し続け、昭和22年に大阪工芸展で初入選、1953年の日展でも透編花籃が初入選を果たしています。
1970年の日本伝統工芸展以降は、それまでの工芸美の追求から用と美に意識がシフトしており、現代的かつ個性的な作品作りに励むようになりました。代表的な作品には「小判文花籃」や「網干編高壺花籃」、「網干編花籃」があって、いずれも独自の世界観が見る者を圧倒します。
略歴
初代 前田竹房斎
1872年 | 泉北郡久世村大字平井(現・堺市平井)に生まれる |
1949年 | 死去。享年85歳 |
二代目 前田竹房斎
1917年 | 大阪府堺市に初代竹房斎の四男として生まれる |
1935年 | 初代竹房斎に師事 |
1947年 | 大阪工芸展に出品し初入選 |
1952年 | 二代竹房斎を襲名 |
1953年 | 第9回日展に出品した「透編花籃」が初入選 |
1970年 | 第17回日本伝統工芸展「花籃 和」が入選 |
1992年 | 勲四等瑞宝章を受賞 |
1995年 | 重要無形文化財「竹工芸」保持者(人間国宝)に認定 |
2003年 | 死去。享年85歳 |