川島甚兵衛について
川島甚兵衛(かわしま じんべえ)は京都西陣の染色家で、二代目はコブラン織を研究した人物としても広く知られています。
二代目川島甚兵衛は1853年に京都の呉服屋の初代川島甚兵衛の長男として生まれ、幼少時から織物の図案や製法に才能を見せ美術織物の製作に没頭します。初代である父親が亡くなると家業を継ぎ、五品共進会への出品で渡欧するチャンスを掴みます。
1886年に品川弥二郎とヨーロッパに渡り、パリの製造所でゴブラン織を学びます。品川弥二郎は政府の勧業対策を指導した人物で、宮内省の御料局長も兼任していました。ベルリンでは川島甚兵衛が持参した織物の見本が好評を博し、大きな注目を集めます。御用織物を製作するためにヨーロッパから帰国すると、川島甚兵衛は日本の伝統技術に西洋の新しい技術を加えます。
綴錦(つづれにしき)の製作では、代表作になる「雲鶴之図」など大作を発表して内外の博覧会で様々な賞を受賞します。川島甚兵衛にとって綴錦の製作はライフワークで、西陣織物の改良や丹後ちりめんの普及にも貢献しました。川島甚兵衛は、日本の優秀な工芸家や美術家を保護する宮内省の帝室技芸員にも任命されます。帝室技芸員は、戦前の日本で宮内省が運営していた制度です。画家や彫刻家、工芸作家に加えて写真家なども任命されています。
豊かな芸術の才能を発揮した川島甚兵衛ですが、美術織物の世界に没頭して家業の川島織物の経営は傾きます。コブラン織を研究した川島甚兵衛は室内装飾用に綴錦を普及させ、芸術品の域まで高めます。織物の研究に没頭した川島甚兵衛の作品は、現在でも国内外のファンに愛されています。
略歴(二代目)
1853年 | 初代川島甚兵衛の長男として京都府に生まれる |
1879年 | 父の死後、家業を継ぐ |
1884年 | 西陣織物工場を建築 |
1885年 | 五品共進会に出品 |
1886年 | 渡欧してゴブラン織を研究 |
1887年 | 帰国後、川島織物参考館を新設 |
1889年 | パリ万国博覧会で金賞を受賞 |
1890年 | 第3回関西勧業博覧会に出品された「犬追物図」が宮内省買上げとなる |
1891年 | 宮内省織物御用達 |
1898年 | 帝室技芸員となる |
1902年 | 勲六等瑞宝章 |
1910年 | 死去。享年58歳 |