桂光春について
桂光春(かつら みつはる)は明治時代から昭和にかかて活躍した彫金家です。旧幕臣の桂信行の次男として誕生し、本名は米次郎と言います。
東京葛飾に生まれた桂光春は、彫金家の豊川光長に師事し彫金を学んだあと、明治天皇銀婚式の際には、師匠の豊川光長と共同して献上の御物を謹作します。その後、1897年で独立をと、30代になる頃には英国王戴冠式の皇室献上の器を「鳳凰の図」を制作し、着実に知名度と評価が高まっていきます。
1895年の東京彫工会展で受賞し、その後数々の博覧会に出品を続けます。1924年のパリ万国博覧会では「元禄踊の図」「游鯉の図」を出品、1930年のベルギーのリエージュ万国産業博覧会では「飾皿」が大賞牌を受賞、1933年のシカゴ万国博覧会に出品した「銀製宝石箱」が受賞するなど、輝かしい成績を多数収めます。1914年には、日本金工協会の審査員を務め、1929年には帝国美術院にも推薦されました。
1936年には、オランダ女王の慶事に同国公使パプスト氏の依頼による「朧銀花瓶渓山幽煙の図」を制作しました。
略歴
1871年 | 旧幕臣の桂信行の次男として東京葛飾に生まれる |
1882年 | 彫金家「豊川光長」師事し彫金を学ぶ |
1894年 | 明治天皇銀婚式の献上の御物を「豊川光長」と共同制作 |
1895年 | 東京彫工会展で受賞 |
1897年 | 独立 |
1910年 | 英国王戴冠式の皇室献上の純銀製金象嵌大落盛器「鳳凰の図」を制作 |
1914年 | 日本金工協会の審査員を務める |
1924年 | パリ万国博覧会に掛額「元禄踊の図」「游鯉の図」を出品 |
1929年 | 帝国美術院に推薦される |
1930年 | ベルギーのリエージュ万国産業博覧会に出品した「飾皿」が大賞牌を受賞 |
1933年 | シカゴ万国博覧会に出品した「銀製宝石箱」が受賞 |
1936年 | オランダ女王の慶事に在日オランダ人一同献上の「朧銀花瓶渓山幽煙の図」を制作 |
1962年 | 死去。享年91歳 |