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加納夏雄作品はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です
加納夏雄(かのう なつお)は明治時代に活躍していた金工師で、明治政府から命じられ貨幣のデザイン、製造も行いました。我楽洞では、加納夏雄の作品を正確に査定し、適正な価格で買取しておりますので初めての方でも安心してご相談いただけます。
我楽洞では、加納夏雄の作品の買取を強化しておりますので、ぜひご相談ください。
どなた様であっても丁寧にご説明、査定を行いますので、初めての方でも安心してご依頼いただけます。
加納夏雄作品の買取について
略歴
1828年 | 京都の米穀商伏見屋治助の子として生まれる。 |
1834年 | 7歳の時に刀剣商加納治助の養子となる。 |
1840年 | 彫金師奥村庄八に師事。線彫り、象嵌などの技法を身に着けた。 |
1846年 | 19歳で金工師として独立。京都で開業。 |
1854年 | 江戸に移り神田に店を構える。 |
1869年 | 宮内省より明治天皇の御刀金具の彫刻を命ぜられる。 |
1871年 | 新政府から新貨幣原型作成を依頼される。 |
1876年 | 廃刀令により刀装具制作を断念。それ以降、花瓶、煙草入れなどを制作。 |
1890年 | 「百鶴図花瓶」が内国勧業博覧会で一等妙技賞を受賞。 |
1894年 | 東京美術学校(現・東京芸術大学)に就任。第1回帝室技芸員になる。 |
1898年 | 逝去。享年69歳 |
加納夏雄は、幕末から明治時代に活躍した金工師で1828年、京都にある米屋の息子として生まれました。幼少の頃から刀剣の鍔(つば)や柄に興味を示し、金属や石を削る道具である鏨(たがね)を手にしていました。12歳になると彫金師の奥村庄八に弟子入りし、修行を開始。型にはめる「象嵌(ぞうがん)」や曲線や細い線を描く「線彫り」の技術を磨きました。14歳になると絵師である中島来章から写実を学び、19歳(1846年)で金工師として独立。その後京都から東京に移り神田で店を開きました。
1869年の新貨条令に伴い、明治の新政府から新貨幣の原型の製作を命ぜられ、その後5年間、造幣の業務に従事しました。当初はその原型を使ってイギリスで型を作る予定でしたが、それを目にしたイギリス人技師がその型の完成度の高さに驚き、「世界で加納に勝る彫金師はいない」と言わしめ、そのイギリス人技師が貨幣の製作を辞退しました。そのため、夏雄がデザインから原型までのすべてを任されました。その中には龍や旗を表現した貨幣もありました。
夏雄は、鏨を斜めに傾け刃先の片方で切っていく片切彫(かたぎりぼり)という技法を最も得意とし、「断面は片方だけ深く、もう片方は浅い。」表現により奥深いデザインを製作しました。
1876年の廃刀令により、刀剣の鍔の製作の需要が減り、刀装金工や町人の脇差の装剣金具を作製していた金工師の多くが廃業する中、夏雄は金工の技術を取り入れてデザインした煙草入れや根付を作り続けました。海外にも目を向け日本最初の工芸品の貿易会社「起立工商会社」を設立し、気品あふれるデザインは人気となり、その名は世界中に知れ渡りました。
夏雄の代表作として有名な作品に百鶴図花瓶(ひゃっかくのずかびん)があります。片切彫を駆使し、左右合わせて百羽の鶴を描き1890年に第三回内国勧業博覧会で一等妙技賞を受賞しました。1898年(明治31年)69歳に他界しました。
加納夏雄の代表作品
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- 五圓金貨
- 君主の象徴である龍のデザインをあしらった明治時代の金貨。龍の鱗まで細かく表現しています。
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- 鯉魚図鍔
- まるで鯉が泳いでいるような鍔です。鯉の鱗を一つ一つ丁寧に仕上げています。
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- 鍔
- 鷹が木に隠れてる猿を狙う様子を描いた構図の鍔です。揺れ動く木を細やかに表した作品。
加納夏雄作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
加納夏雄の作品では、特に刀剣の鍔や金貨が人気です。特に刀剣の鍔は海外でも評価が高く高価買取が可能となります。
保存状態は査定に大きく影響
作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
所載物・本に出てる作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。
加納夏雄作品の買取に関してよくあるご質問
加納夏雄の作品で買取ができる作品はどんなものがありますか?
明治時代の貨幣や刀剣の鍔が多くあります。その他、根付や煙草入れがあります。