金重陶陽(かねしげ とうよう)は、岡山県出身の陶芸家です。
本名は金重勇(かねしげ いさむ)。
金重陶陽は、岡山の備前の窯元・金重槇三郎の長男として生まれました。金重家は備前六姓のひとつです。
陶陽は、5歳の頃から土いじりを始め、父より陶技を学び、11歳には、カメ、カブトを博覧会に出品し受賞しています。
29歳の時、備前で初めて宝瓶を制作をし、丈夫で使いやすいと宝瓶の流行をもたらしました。
北大路魯山人やイサム・ノグチらとも親交があり、彼らの芸術性に影響を受けた一方、彼らが備前焼を世に知らしめる役割を果たしました。
江戸時代中期以降には、伊万里焼や九谷焼などに押されて人気を失っていた備前焼の再興に成功したことで「備前焼中興の祖」と称されています。
自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、その中から次々と人間国宝を輩出するなど備前焼の歴史上果たした功績は計り知れません。
陶陽の弟の金重素山、長男の金重道明、三男の金重晃介もそれぞれ陶芸家です。
1956年には、備前焼の陶工として初めての人間国宝に認定されました。
略歴
1896年 | 岡山の備前の窯元・金重槇三郎の長男として生まれる。 |
1901年 | 5歳の頃から土いじりを始める。 |
1907年 | 11歳の頃、カメ、カブトを博覧会に出品し受賞。 |
1916年 | 窯詰めの形式を改良。父媒陽死去。 |
1922年 | 備前で初めて宝瓶を制作。 |
1938年 | 大阪阪急百貨店にて初個展開催。 |
1944年 | 日本美術協会及工芸統制協会代議員となる。 |
1955年 | 日本工芸会結成。 |
1956年 | 備前焼の陶工として初めての重要無形文化財保持者に認定。 |
1959年 | 東京国立近代美術館開催の現代日本陶芸展に「備前水指」出品。 |
1967年 | 逝去。享年71歳。勲四等旭日小綬章受章。 |