本郷新について
本郷新(ほんごう しん)は、第二次世界大戦終了後の日本の具象彫刻を牽引した彫刻家の一人です。代表作には「わだつみのこえ」や「哭」などがあげられます。
1905年札幌市に6人兄弟の次男として生まれ、現在の千葉大学工学部にあたる東京高等工芸学校工芸図案化工芸彫刻部において彫刻を学び、ここで高村光太郎に師事します。ロダンやブールデルなどといった西洋近代彫刻の影響を大きく受けつつ、写実を基盤にした造形を探求していきました。
1939年には新制作派協会彫刻部を創設し、この時この部に携わったのは山内荘夫、柳原義達、佐藤忠良ら気鋭の若手が多数集まりました。戦争が終わったばかりのつらい時代の中で制作に励み、1942年に彫刻論集「彫刻の美」を著作します。
本郷新は彫刻の社会性や公共性などを重要視し、モニュメンタルな野外彫刻の制作にも注力します。1960年代に入ると公共空間の中の芸術に対する社会的な意識が高まったこともあり、本郷新の彫刻が日本の様々なエリアに次々と設置されていたのです。
本郷新の作品である人体像の木彫はダイナミックで力強い生命観に溢れていて、社会に絶えず目を向け平和を求めた彫刻家の情熱を映すものでもありました。見るものに対し時代が過ぎ去ったとしても色褪せることのない感動を与える作品と言えるでしょう。
1953年には立命館大学に「わだつみのこえ」が設置され、この作品によって日本平和文化賞を受賞します。1960年に広島平和記念公園に「嵐の中の母子像」が設置されたことも有名です。札幌の冬季オリンピック記念碑が設置されたり、その他にも「哭」や「緑の賛歌」など数多くの作品を残しています。
略歴
1905年 | 北海道札幌に6人兄弟の次男として生まれる |
1924年 | 東京高等工芸学校彫刻部に入学 |
1928年 | 東京高等工芸学校彫刻部を卒業 |
1928年 | 国画創作協会彫刻部第7回展にて「少女の首」が初入選 |
1934年 | 国画会会員となる |
1939年 | 国画会を退会し、佐藤忠良、舟越保武らと新制作派協会彫刻部を創立 |
1942年 | 彫刻論集「彫刻の美」(冨山房)を刊行 |
1950年 | 戦没学生記念像「わだつみのこえ」を制作 |
1953年 | 「わだつみのこえ」が日本平和文化賞を受賞 |
1959年 | 第5回日本国際美術展にて出品した木彫「哭」が優秀賞を受賞 |
1959年 | 高村光太郎賞選考委員をつとめる |
1971年 | 札幌市真駒内に冬季オリンピック記念碑「雪華の像」が設置される |
1974年 | 第28回北海道新聞文化賞を受賞 |
1978年 | 第30回北海道文化賞を受賞 |
1979年 | 勲三等瑞宝章を受章 |
1980年 | 東京の自宅にて死去。享年74歳 |