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平田郷陽作品は、すべての商品が我楽洞では高額買取対象です。
平田郷陽(ひらた ごうよう)は、東京浅草で生まれた人形師です。平田郷陽が創り出す表情豊かな市松人形は、「生き人形」と呼ばれるほどまるで生きているかのようなリアルな作品です。戦後は、女性の姿や子供をメインにデフォルメを施した人形を製作しています。
我楽洞では、平田郷陽の作品の買取を強化しておりますので、ぜひご相談ください。
どなた様であっても丁寧にご説明、査定を行いますので、初めての方でも安心してご依頼いただけます。
平田郷陽作品の買取について
略歴
1903年 | 初代平田郷陽(恒次郎)の長男として、東京浅草に生まれる。 |
1917年 | 14歳の時、父のもとで人形製作の修行を始める。 |
1924年 | 父の跡を継ぎ二代卿陽を襲名。 |
1927年 | 市松人形を製作。 |
1928年 | 人形研究団体白沢会を結成する。 |
1935年 | 日本人形社を立ち上げる。 |
1936年 | 第1回帝国美術院展に初入選。 |
1937年 | パリ万国博覧会に出品し、金賞受賞。 |
1955年 | 重要無形文化財「衣裳人形」保持者(人間国宝)に認定される。 |
1959年 | 皇后宮殿に「瑞鳥」製作。 |
1968年 | 紫綬褒章を受賞。 |
1974年 | 勲四等瑞宝章を受賞。 |
1981年 | 脳血せんのため逝去。享年77歳。 |
平田郷陽(ひらた ごうよう)は1903年に東京・浅草で生まれた人形師です。幼い頃から人形師である父親の仕事を見て育ち、その後、本格的に人形製作を学びます。そして「活人形(生き人形)」の製作技法を習得。
1924年(21歳)に父親の跡をつぎ、「二代目郷陽」を襲名します。この頃からリアリズムを追求する人形師として徐々に知名度を高め、平田郷陽の人形は繊細かつ丁寧に作られていることが世間に知られるようになりました。当時の人形は芸術の対象ではなく、玩具として扱われていました。そのため、平田郷陽は人形と人形師の地位向上のため、久保佐四郎、岡本玉水ら創作人形製作への意欲を持った仲間と一緒に白沢会を作りました。また、日本人形を広げていくために、日本人形社も設立しました。1941年には、日本人形社を解散しました。また、1948年には、新たに設立した日本人形作家協会の代表委員に就任しました。
第1回帝展に入選して以来、日展、文展などの賞を数多く受賞。その後、日本政府より依頼を受け、フランス、ベルギーで開かれた万国博覧会に衣装人形を出品し高い評価を受けました。1955年(52歳)には重要無形文化財「衣裳人形」保持者(人間国宝)に認定されます。1981年に脳血せんのため逝去。77歳の生涯を閉じました。
平田郷陽の代表作品
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- 戯れる児
- 2人の子供が活き活きと楽しそうに遊んでいる様子の作品。
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- 清泉
- 桐の木で作られた作品で、デフォルメされた造形と「木目込」という技法が特徴です。
平田郷陽作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
平田郷陽のほぼ全ての作品を我楽洞では高額買取しています。
保存状態は査定に大きく影響
作品に破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から大切に保管をしてください。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
共箱は一緒に
作品を収める共箱があれば、一緒にご提示ください。査定額を決める重要な品物になります。
所載物・本に出てる作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。
平田郷陽作品の買取に関してよくあるご質問
平田郷陽の人形がありあます。当日の連絡でその日に出張買取は可能ですか?
東京都内、神奈川県、千葉県、埼玉県であれば、当日査定にも対応しております。(日程によりご希望に添えないこともございます。予めご了承ください。)