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旭玉山作品はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です
江戸から明治にかけて活躍した旭玉山(あさひ ぎょくざん)の作品を我楽洞では、高額にて買取しております。初めて買取依頼をされる方へも丁寧なご説明・査定を行なっておりますので、安心してご利用ください。
我楽洞では、旭玉山の作品の買取を強化しておりますので、ぜひご相談ください。
どなた様であっても丁寧にご説明、査定を行いますので、初めての方でも安心してご依頼いただけます。
旭玉山作品の買取について
略歴
1843年 | 東京・浅草の寺に生まれる。 |
1877年 | 第一回内国勧業博覧会に「人体骨格置物」を出展し受賞。 |
1878年 | 批評会の定例開催をはじめる。 |
1881年 | 第二回内国勧業博覧会に出展した「牙彫髑髏」を受賞し、彫刻家としての地位を確立。 |
1890年 | 大磯へ移住。 |
1892年 | 京都へ移住。博覧会などの審査員を務めるようになる。 |
1901年 | 日本美術協会展に「官女置物」を出展。 |
1923年 | 逝去。享年81歳。 |
旭玉山(あさひぎょくざん)は1843年(天保14年)に東京・浅草の寺に生まれた彫刻家です。一旦は僧侶となりましたが、俗人に戻り工芸細工が好きだったこともあり独学で彫刻を勉強。蛙や犬、蜘蛛などの生物を題材にして精密な根付を制作して生活していましたが、明治の頃からはある医師との出会いから人骨に興味を示し、髑髏(どくろ)の根付を作り、その完成度の高さから評価を高めてきました。
49歳(1892年・明治25年)になると京都に移り住み、博覧会などの審査員も務めました。1901年(明治33年)の日本美術協会展に出展した「官女置物」は、十二単衣の着物を着た女性をいくつもつなぎ合わせて作られており、高い評価を受けました。東京美術学校の教授の経験も持ち、後進の指導にも力を入れていました。1923年80歳で逝去。
旭玉山は当初、木彫での嵌入彫刻や鹿角彫刻も行い、髑髏(どくろ)など奇をてらった作品が多かったものの、晩年では静かで質素な作品を制作していました。
旭玉山の代表作品
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- 牙彫髑髏
- 内国勧業博覧会に出品し、名誉賞を受賞した旭玉山の初期の作品。精巧に掘り出された頭骨の作品です。
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- 銀杏鳩図文庫
- 彫嵌(ちょうがん)技法による手箱。鳩を表した旭玉山の木彫作品です。
旭玉山作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
旭玉山の作品は、多くの彫刻、根付があり我楽洞では買取が可能です。
保存状態は査定に大きく影響
作品に汚れ、破損がありますと、査定額に大きく影響してしまいます。日頃から大切に保存してください。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
所載物・本に出てる作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。
旭玉山作品の買取に関してよくあるご質問
数十年前に明治時代の旭玉山だと思われる彫刻を譲り受けましたが、今は買取をしてほしいと思っています。価値が無いかもしれませんが査定は可能ですか?
はい、査定は可能です。実際に鑑定士が査定したところ、ご依頼主様が思う以上の価値のある作品である場合もありますので、一度ご相談ください。