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河鍋暁斎作品はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です
河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)は、幕末・明治に活躍した浮世絵師、日本画家です。ユーモラスな浮世絵、風刺画から仏画など幅広い作品を残しています。
我楽洞では、河鍋暁斎の作品の買取を強化しておりますので、ぜひご相談ください。
どなた様であっても丁寧にご説明、査定を行いますので、初めての方でも安心してご依頼いただけます。
河鍋暁斎作品の買取について
略歴
1831年 | 茨城県に古河市河鍋記右衛門ときよの次男として生まれる。 |
1832年 | 江戸へ移住。以後、江戸で活躍。 |
1833年 | 初めて蛙を描いた。 |
1837年 | 7歳の時、浮世絵師歌川国芳に入門。 |
1840年 | 狩野派の絵師前村洞和に再入門。 |
1848年 | 現存する暁斎最初期の肉筆作品「毘沙門天之図」(河鍋暁斎記念美術館蔵)を制作。 |
1849年 | 洞白より洞郁陳之(とういくのりゆき)の号を与えられる。 |
1857年 | 江戸琳派の絵師鈴木其一の次女お清と結婚。絵師として独立するとともに河鍋姓を継承。 |
1858年 | 狩野派を離れて「惺々狂斎」に改める。戯画・風刺画など浮世絵で人気を博す。 |
1863年 | 歌川派の絵師による合作「御上洛東海道」に参加。 |
1871年 | 以後、号を「暁斎」と改める。 |
1889年 | 胃癌のため逝去。享年57歳。 |
河鍋暁斎(かわなべきょうさい)は1831年の幕末の時代に下総国(しもうさのくに)(現在の茨城県古河市)に生まれた浮世絵師、日本画家です。
暁斎が2歳の頃に家族と一緒に江戸に移り住み、7歳の頃には浮世絵師・歌川国芳に入門し、絵の基礎から技法を学びました。国芳は人を押さえつけたり、組み伏せたり、あるいは投げ飛ばし、投げ飛ばされる様々な形態、動きをよく観察してそれを表現するように教えていました。そのため、暁斎はどこかで取っ組み合いの喧嘩をしていないかと街中を探し歩いていました。また、神田川で拾った生首を写生して周りの人々を驚かせたこともありました。
9歳のころには、あまりにも自由すぎる歌川国芳からの悪影響を心配した暁斎の父親は、暁斎を狩野派の絵師である前村洞和(まえむら とうわ)に再入門させました。19歳には館林藩(秋元家)の絵師、坪山洞山の養子になりましたが、21歳になると女中を追い回してばかりとして、離縁されました。27歳(1858年)のころには、「惺々狂斎」と号し、浮世絵を描き、動物をユーモラスに描く戯画や人々の生活を描いた風刺画が人気を集めていました。
1881年の第2回内国勧業博覧会では、「枯木寒鴉図」を出品し褒賞を授与。1889年(57歳)で亡くなりました。
河鍋暁斎の代表作品
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- 猫図
- 猫が蛙を捕まえる様子を描いています。河鍋暁斎らしいユーモアあふれる作品です。
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- 閻魔と地獄太夫
- 絶世の美女地獄太夫が浄玻璃鏡に映し出され、思わぬ罪人に閻魔大王も興味津々で覗きこんでいる様子を描いています。
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- 枯木寒鴉図
- 暁斎は、この作品に破格の百円という売価をつけ、その後「百円鴉」と呼ばれる。この作品で暁斎は海外にも名を知られるようになる。
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- 蛙図
- とても可愛らしく蛙が描かれている作品です。蛙好きで有名な暁斎は、生涯で蛙の絵を多数残してます。
河鍋暁斎作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
河鍋暁斎の作品はどれも人気が高く高価での買取が可能です。買取価格としては作品サイズが大きい方が高くなる傾向があります。
保存状態は査定に大きく影響
作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
所載物・本に出てる作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。
河鍋暁斎作品の買取に関してよくあるご質問
幽霊画あるので、買取を依頼したいのですが、河鍋暁斎の作品かどうかは定かではありませんが、みてもらえますか?
幽霊画は多く作家が制作した作品がありますが、それが河鍋暁斎のものであるかは査定をさせて頂く際に確認いたします。その他、作品名、作者が不明な作品がありましたら、まずはご相談ください。