竹内栖鳳(たけうち せいほう)は、1864年に京都で生まれた日本画家です。
両親は料理屋を営んでいました。17歳になると円山・四条派の幸野楳嶺の私塾へ入門します。23歳で結婚し、画家を生業とすることを決意します。
1893年には、シカゴ万博に出品し世界に自身の作品をアピールします。45歳で京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)の教授に就任します。
いつしか横山大観と画壇の双璧をなし「西の栖鳳、東の大観」と言われていました。
1942年、肺炎により78歳で亡くなりました。
1864年 | 京都府京都市中京区の川魚料理屋「亀政」の一人息子として生まれる。 |
1877年 | 四条派の土田英林に師事し絵を習い始める。 |
1881年 | 円山・四条派の幸野楳嶺の私塾へ正式に入門。 |
1882年 | 私塾の工芸長となり、「楳嶺四天王」の筆頭と称される。 |
1887年 | 結婚を機に絵師として独立。 |
1888年 | 京都府画学校(現:京都市立芸術大学)を修了。 |
1889年 | 京都府画学校に出仕。 |
1891年 | 山元春挙、菊池芳文らと青年画家懇親会を興す。 |
1893年 | シカゴ万博に出品。 |
1899年 | 京都市立美術工芸学校の教諭に就任。 |
1900年 | パリ万博で「雪中燥雀」が銀牌を受賞。7か月かけてヨーロッパを旅行し、ターナー、コローなどに強い影響を受ける。 |
1909年 | 京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)の教諭に就任。 |
1913年 | 帝室技芸員。 |
1919年 | 帝国美術院会員。 |
1924年 | フランスのレジオンドヌール勲章を受賞。 |
1931年 | ハンガリー最高美術賞およびドイツのゲーテ名誉賞を受賞。 |
1937年 | 第1回文化勲章を受賞。 |
1942年 | 逝去。享年77歳。 |