お知らせ | 2024年8月8日 夏季休業日のお知らせ |
---|
草間彌生作品はすべての作品が我楽洞では高額買取対象です。
草間彌生は、世界各国の美術館で数々の個展を開催し、20以上の賞を受賞している日本の芸術家(画家・彫刻家・小説家)です。また、自身の自由な表現を表す為、新宿に一般社団法人草間彌生記念芸術財団が運営する草間彌生自身の美術館も設立しております。
我楽洞では、現代アートの最先端・草間彌生の作品を高価買取しております。
現在も作品を作り続けている草間彌生の作品は、世界的に評価が高いですが贋作も多く存在します。また、現代アート作家のなかでも世界的に評価が高いからこそ、買取る業者で価格が大きく異なります。だからこそ、作品の価値を適正に見極める事のできる鑑定士でないといけません。
業界NO1の実績を誇る「我楽洞」には、豊富な知識と実績を持つ鑑定士が在籍しております。
草間彌生作品なら絵画に限らず、油絵・水彩画・オブジェ(芸術的物体)・リトグラフ(石版画)など幅広く鑑定できます。世界のクサマ、マーケットの女王クサマとも呼ばれる、草間彌生作品の高価買取は我楽洞にお任せください。
草間彌生の買取実績
-
- ハイヒール
技法:シルクスクリーン
- ハイヒール
-
- 富士
技法:シルクスクリーン
- 富士
-
- 花
技法:シルクスクリーン
- 花
草間 彌生作品の買取について
略歴
1929年 | 長野県松本市大字筑摩にて種苗業を営む旧家に四人姉兄の末っ子として生まれる。 |
1935年 | 少女時代より繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために絵を描き始める。 |
1939年 | 小学校五年生時に、母をモデルに鉛筆画「無題」を制作。水玉と網模様のモチーフをこの頃から描き始める。 |
1941年 | 長野県松本高等女学校にて日本画家の日比野霞径(ひびのかけい)と出会い、日本画を学ぶ。 |
1945年 | 「全信州美術展覧会」に「捻り」が入選。草間彌生の初めての入賞となる。 |
1946年 | 「第二回全信州美術展覧会」に「南瓜」(かぼちゃ)が入選。 |
1948年 | 京都の親戚の家に移ると共に京都市立美術工芸学校の4年最終課程に編入。翌年卒業。 |
1952年 | 自身初の個展「草間彌生 個展」が松本市第一公民館で開催。油彩、ガッシュ(不透明水彩技法)、水彩など約200点の作品を展示。信州大学の精神科医の西丸四方(にしまるしほう)が会場を訪れ、同年度末に東京大学医学部で開催された関東精神神経学会で草間の作品が紹介される。ここから草間彌生の個展が世界中にて開催されていくようになる。 |
1953年 | パリのアカデミー・グランド・ショミエール校の入学許可を取得。留学が話題になるも翌年開催される東京での初個展の為に渡仏を中止。 |
1954年 | 東京での初個展「草間彌生作品展」が日本橋白木屋美術部で開催。各種美術雑誌に表紙などで取り上げられるようになった。 |
1955年 | 日本では飽き足りずアメリカにいる人で知ってる人はこの人しかいないと、当時大人気でアメリカで一番の作家と言われたジョージア・オキーフに手紙と作品を送り、交流が始まり渡米を決意する。 |
1957年 | 単独渡米。渡米から一か月後にはアメリカでの初個展「草間彌生絵画展」が開催される。 |
1958年 | 当時のNYは戦後の松本から出て来た草間には熾烈過ぎてノイローゼになってしまい、ジョージア・オキーフからの手紙で辛かったら私のとこに来なさいと手紙をもらい交流は続いていった。この頃からネット・ペインティング(無限の網の目)に着手する。 |
1959年 | NYでの初の個展「草間彌生展」をブラタ画廊で開催。ネットペインティングの大作5点を発表。ドナルド・ジャッドが1点を購入し「アート・ニュース」紙に展評を発表する。この年からアメリカ全土の高名なギャラリーを総なめにする勢いで個展が開催される。 |
1963年 | グリーンカードを獲得。(アメリカ永住権) |
1965年 | 鏡を用いた環境彫刻や空間的な表現を展開し始める。ロックフェラー財団基金を受け、グリーンカード獲得から2年間で活動の場がヨーロッパに広がる。ここからは日本・アメリカに留まらず世界各地で個展が開催される。主な美術館は後述にて。 |
2004年 | 「クサマトリックス」が開かれる。「森美術館」(MORI ART MUSEUM)にて。この前後から数々の賞を受賞している。 |
草間彌生は長野県生まれで、現在も芸術活動を続けている日本の芸術家です。
幼少のころから芸術に興味を持ち、日頃からスケッチをし水彩画、油絵を描いていました。しかしながら、親からの度重なる虐待により極めて深刻な精神的ダメージを受けました。
そして10歳の頃に統合失調症を患い、幻聴や幻覚を見るようになったそうです。そうした体験をしたことを芸術として表現した点が、草間彌生の作品の特徴です。かぼちゃや水玉デザインの作品は、まさに草間彌生を代表するものとなっています。
草間彌生は28歳になった年にアメリカに渡りました。そこでは、途中で生活費も底をつくほどの貧しい生活を送ることになりましたが、そのような状況でも草間は絵を描き続けました。
その後、東京やニューヨークで個展を開催したことで、自身の知名度も上がってきて、美術界において広く知られるようになりました。
~草間彌生の出展美術館・開催イベント~
・タケミヤ画廊(1955年)
・求龍堂画廊(1955年)
・ブルックリン美術館(NY)(1955年)
・ドゥサンヌ・ギャラリー(シアトル)(1957年)
・ノヴァ・ギャラリー(ボストン)(1959年)
・レヴァークーゼン市立美術館(西ドイツ)(1960年)
・グレス・ギャラリー(ワシントンD,C)(1960年、1961年)
・ステファン・ラディッチ・ギャラリー(NY)(1961年)
・アムステルダム市立美術館(オランダ)(1962年)
・ロバート・ハナムラ・ギャラリー(シカゴ)(1962年)
・ガートルード・スタイン・ギャラリー(NY)(1963年)
・リチャード・カステラ―二・ギャラリー(NY)(1964年、1965年、1966年)
・ギャラリー・オレズ(デン・ハーグ)(1965年)
・ナビリオ・ギャラリー(ミラノ)(1966年)
・M・E・テレン・ギャラリー(エッセン、西ドイツ)(1966年)
・クライスラー美術館(プロヴィンスタウン。アメリカ)(1966年、1967年)
・ジャルディーニ公園「ヴェネツィア・ビエンナーレ」(ゲリラ参加)(1966年)
・ブラックゲート劇場「自己消滅―音響・映像・照明のパフォーマンス」(NY)(1967年)
・ウッドストック「草間彌生の自己消滅 ホース・プレイ」(NY)(1967年)
・ワシントン広場「ボディ・フェスティバル」(NY)(1967年)
・トンプキンス広場「ボディ・フェスティバル」(NY)(1967年)
・オランダ各地でハプニングを行う。
・1968年自作自演の映画「草間の自己消滅」を各地で上映し、第4回ベルギー国際短編映画祭など多数入賞。
自作監督・出演映画「フラワー・オージー」「ホモ・セクシャル・オージー」を制作。
日本だけでも、各地の県立美術館、市立美術館で多数個展を開催しており、初の個展1952年から世界中で、ざっと数えても200回以上は個展を開催しています。
これだけの美術館・ギャラリーで個展を開いているのは草間彌生だけかもしれません。
日本で近年有名なのは、2004年に森美術館で行われた「クサマトリックス」。草間はこの個展で、自分のすべてを解放したと言うほど、草間彌生の世界観を味わえる個展でした。
個展や映画以外には、2012年にルイ・ヴィトンとコラボし衣装、バック、財布のデザインを担当し大きな話題となりました。生産量が少ない作品は現在も人気があります。その他にも、多数のコラボ作品を生み出しており、iPhoneとのコラボでは写真が草間彌生の水玉になるアプリが作られたり、2013年の24時間テレビ(日本テレビ系列)では、人気アイドルグループの嵐の大野智さんと共同でTシャツのデザインを手がけ、草間彌生は一気に有名人となりました。
その後、2016年には「世界で最も影響力のある100人」に選出されます。
そして、2016年9月28日の国立新美術館で行われた「草間彌生 我が永遠の魂」展の記者発表会で独特の言葉を発信しています。
「私の人生は芸術によって開かれましたが、幼年期の心の痛み、そして惨めな青春時代の為に、私は心のバランスを崩し、入院することになりました。その頃から私は自分の人生についていろいろと考えていましたが、私の道は結局、芸術家として成長していくしかないと深く自分の心を傾けました。」
「私が死んだ後も、皆さんどうぞ私の創造への意欲、芸術への希望と、そうしたものに対する私の情熱を少しでも感じて頂けたら、これに勝る喜びはありません。皆さんの何か、精神的な悩み、そして人生に対する悩み、そういったものがあった時に、私の生きてきた道を見つけてくれたら本当に嬉しいと思っております。」
この言葉の様に、草間彌生の作品を一言で語ることは出来ませんが、本人の言葉から草間の人生、作品への愛情・感情が見えてきます。それと同時に統合失調症で幻覚や幻聴を見ることがあっても、水玉という表現を作品へと落とし込むことにより草間にとっては自分自身の落ち着き・平静を保つことが出来たのでしょう。つまり、草間の作品は草間彌生にしか表現することが出来ない唯一無二の作品なのです。
2017年には、「世界平和と人間愛」というメッセージを世界に広く伝えるために、新宿区に「草間彌生美術館」を開館しています。
そして現在も、常に前衛的な作品を模索し続けている「草間彌生」は今後も日本を代表する現代アート作家のトップにいることは間違いないでしょう。
草間彌生の代表作品
-
- パンプキン
- 草間彌生の代表的なオブジェ。様々なカラーがセットになっていますと、より高い価格で買取いたします。
-
- 蝶
- 蝶をモチーフにしたカラフルな作品で非常に人気があります。他の蝶の作品でもご相談ください。
-
- 雑草
- 見るものをひきつけて離さない不思議な力を持つ作品。当店だからできる高価で買取いたします。
-
- 夜に読む本E
- 草間彌生ならではの独特の世界観を表現した作品。作品の状態に問わず、お問い合わせください。
草間彌生作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
現在、草間彌生の作品は全てにおいて人気が高まっております。特にパンプキンをモチーフにしたアート作品ならすぐにご連絡ください。
保存状態は査定に大きく影響
作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
所載物・本に出てる作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。
草間彌生作品の買取に関してよくあるご質問
草間彌生の作品の魅力とは何でしょうか?
芸術作品なので感じ方は人それぞれですが、あえていうのならば、やはりあの独特の大小のドット柄を組み合わせたところにあるのではないでしょうか。