鏑木清方(かぶらき きよかた)は、1878年に東京の神田に生まれた日本画家です。
14歳で浮世絵師の流れを組む水野年方に師事しました。21歳になると第5回日本絵画協会展に初めて作品を出品しました。
その後も多くの作品を発表し続け、41歳のとき、第1回帝展の審査員に任命されました。
東京空襲のときには自宅が焼け、やもなく鎌倉に引っ越した経験もあります。生涯では、美人画の作品を多くのこしており、人物の容姿だけでなく、心理的な部分をも表現する技術を持ち合わしていました。
1972年93歳で死去。
1878年 | 東京神田に生まれる。 |
1891年 | 浮世絵師の系譜を引く水野年方に入門。 |
1892年 | 日本中学をやめ、画業に専心。 |
1893年 | 水野年方より「清方」の雅号を授かる。 |
1898年 | 第5回日本絵画協会展に大作を初出品。 |
1901年 | 烏合会を結成。 |
1902年 | 代表作「一葉女史の墓」を描く。 |
1916年 | 吉川霊華、平福百穂らと金鈴会を結成。 |
1917年 | 第11回文展に「黒髪」を出品し特選第一席を受賞。 |
1927年 | 第2回帝展に代表作「築地明石町」を出品し帝国美術院賞を受賞。 |
1937年 | 帝国芸術院会員。 |
1944年 | 帝室技芸員。 |
1954年 | 文化勲章を受章。 |
1972年 | 逝去。享年93歳。 |