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呉昌碩作品はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です
近代中国の芸術家として非常に高く評価されている呉昌碩は、詩、書、画、篆刻のどれにおいても優れた作品を残しています。
現在、我楽洞では、呉昌碩の作品を幅広く買取しています。
正確な査定を行い、適正な価格で買取しておりますので、初めての方でも安心してご依頼いただけます。
呉昌碩の買取はぜひ、我楽洞にお任せください。
呉昌碩作品の買取について
略歴
1844年 | 中国・浙江省安吉に生まれる。曽祖父、祖父、伯父、父のみなが挙人となるエリート家系。 |
1860年 | 太平天国の乱で一家は離散し、湖北省や安徽省などを5年間彷徨う。 |
1865年 | 科挙を受けて清朝官僚を経験する。 |
1894年 | 日清戦争が始まると安東県知事を務めるが1ヶ月で辞職。その後、任伯年から本格的に画を学ぶ |
1903年 | 葉銘、丁仁・王禔・呉隠らと共に「西泠印社」を創立。初代社長の座に就く。以降、上海を中心に活躍。 |
1907年 | 代表作品「桃実図」を製作。 |
1912年 | 名を昌碩と改める。 |
1927年 | 逝去。享年84歳。 |
呉昌碩は1844年に生まれた中国の画家です。近代中国において詩、書、画、そして印章を作成する篆刻(てんこく)に優れている人物として評価されています。
呉昌碩の曽祖父、祖父、伯父、父は当時の中国の難関試験である郷試に受かっており、学問ができる家系でした。父親は私塾の教師で、小さなころから篆刻を学んできました。17歳の頃に始まった太平天国の乱により、弟と妹が餓死しさらに許嫁(いいなづけ)も死去しました。その後はしばらく学業に励み22歳で官僚になります。その間に様々な芸術家と出会い、自身の腕を磨いていました。
50歳の時に(1994年)日清戦争が始まり、江蘇省安東県の知事になりましたが、わずか1ヶ月で辞職。1927年に脳血管障害の後遺症が悪化し死去しました。享年83歳。
呉昌碩の書の特徴は、とにかく力強さが感じられる作品が多いことです。文字が少し右に上がっていながらも文字の重心は上側にあり、文字の足が長くなっています。しっかりと黒味を出した文字から力強いエネルギーが感じ取れます。また梅、牡丹を描いた作品もあり、生命力そのものを静かに表現しています。
呉昌碩の代表作品
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- 梅花図
- しっかりとした筆感で赤い花を咲かせる梅を表現し、生命力が感じられます。
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- 尺牘
- 尺牘(せきとく)は手紙のことです。全体的に重厚感と迫力が感じられる作品。
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- 臨石鼓文
- 石鼓文を基盤とし、力強い線を用いた呉昌碩独自の書風の作品です。
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- 牡丹水仙図
- 岩の上の大輪の牡丹と、岩の下に咲く水仙の花の様子が繊細に筆で表現されている作品です。
呉昌碩作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
呉昌碩の作品には墨で描いた作品が多くあり、牡丹や梅を描いた作品の人気が高くなっています。
保存状態は査定に大きく影響
作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
所載物・本に出てる作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。
呉昌碩の買取実績
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- 松の図
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- 桃実図
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- 書
呉昌碩作品の買取に関してよくあるご質問
呉昌碩の作品を4点保有しており、2点買取をお願いしたいのですが、自宅が静岡の浜松なのですが、出張査定は可能ですか?
はい、可能です。日程の調整もありますので、お早めにご連絡いただけると助かります。