吉羽與兵衛について
京釜師である吉羽與兵衛(よしは よへい)は、90年以上続く茶釜師の三代目であり、代々続く伝統的な京釜の真髄を残しつつ、現代にあう新しい商品の提案を積極的に行うなど、京釜の未来を背負っている日本の職人の1人です。
茶道において茶室でお湯を沸かすために使用されるものを茶釜といい、中でも京都で作られるている茶釜は「京釜」と呼ばれ、伝統的な存在として特別視されています。
初代 吉羽興兵衛は、1895年に京都に生まれ、京都三条釜座の千家十職大西家13代目浄長の門下に入り、1925年には大西家より別家を許され、師匠である浄長より與兵衛の号を受け京釜師として独立します。
独立後は、表千家「即中斎宗匠」、裏千家「淡々斎宗匠」などから御箱書及び御好の釜の御用を賜るなど、京釜の伝統を守りながら各種展覧会に出品し受賞しています。
晩年には、後継者の指導や少作釜の鑑定研究に没頭し、1983年に京都高島屋にて米寿記念展を催し、最終晩年の作品を発表しました。
二代目 吉羽與兵衛は、初代與兵衛の長男として生まれ、1947年に家業釜師の修行に入り1972年に二代目を襲名してます。京釜の伝統を厳しく守りながらも、常に新しい想像を求めて研究制作に打ち込み東京や京都にて記念展や個展を行い作品を発表しています。
2008年には長男である柾人氏に三代目を譲り、現在は三代目が吉羽與兵衛として活動をしています。吉羽與兵衛の作り出す茶釜は、コンロや電気もある現代でも炭を使い、火を起こして、鉄を溶かすといった昔ながらの技法を継承しており、実際に販売されているのは茶釜をはじめ、風炉や花入、湯沸などがあります。
略歴
初代 吉羽興兵衛(幼名 健之助)
1895年 | 京都四条室町に生まれる |
1906年 | 千家十職で釜師を務める大西家13代目の浄長の門下に入る |
1925年 | 釜師與兵衛の号を受け、京釜師としての活動を始める |
1972年 | 長男に二代目與兵衛を譲る |
1983年 | 京都高島屋にて「米寿記念展」を催し最終晩年の作品「京釜の真髄」を発表 |
1986年 | 逝去。享年91歳 |
二代目 吉羽興兵衛(本名 宗敏)
1930年 | 初代 吉羽興兵衛の長男として京都に生まれる |
1947年 | 家業釜師の修行に入る |
1972年 | 二代目與兵衛を襲名 |
2008年 | 二代目與兵衛を退き、三代目を長男に譲る |
2017年 | 逝去。享年86歳 |
三代目 吉羽興兵衛
1968年 | 二代目 吉羽興兵衛の長男として生まれる |
1994年 | 先代に師事し家業釜師の修行に入る |
2008年 | 三代目與兵衛を襲名 |