金森重近(宗和)について
金森重近(宗和)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍していた茶人であり、「宗和流茶道」を開祖した人物です。名を重近、後に号して宗和とします。
重近(宗和)の祖父は千利休門下の茶人であり、父は千利休の長男道安から茶道を学んでおり、重近(宗和)は父から茶道を習得します。
重近(宗和)が開祖した宗和流の茶道は「姫宗和」と呼ばれており、京都にいる公家たちの間で人気が高いものでした。また、千利休が生み出した茶の湯と呼ばれる教えを尊重し、自分の流派に取り入れた人物と言われています。
他にも京焼の名工野々村仁清の才能を見出したことでも知られています。当時、加賀藩の藩主であった前田利常が金森重近の技術と才能をとても評価しており、重近(宗和)が亡くなった後も金森家の子孫の方々は加賀藩に仕えたそうです。
「宗和流茶道」は、金沢を中心に伝えられ、故郷である高山でも広まるようになり、寺院などを中心に伝承されていきました。その後1964年、「宗和流茶道」は重近(宗和)の故郷・高山市で無形文化財に登録され、多くの方々に愛されています。近年では、国際イベントや歴史に関するイベントで宗和流茶道が紹介されており、人気がますます高まっています。
略歴
1584年 | 第二代飛騨高山藩主・金森可重の長男として生まれる |
1614年 | 大阪冬の陣の出陣当日に父から勘当を申し渡され、母と供に京都に隠棲する |
1625年 | 息子の七之助方を前田家に出仕させ宗和流は加賀藩に伝承される |
1648年 | 前田利常の茶会に招かれ加賀を訪れる |
1656年 | 逝去。享年73歳 |
1964年 | 宗和流茶道が高山市の無形文化財に指定される |