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円山応挙作品はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です
円山応挙(まるやま おうきょ)は、江戸時代中期に活躍した絵師で、代表的な作品には国宝に指定されている「雪松図屏風」があります。
細かな描写、鮮やかな色使いの作品が多くあり、日本だけでなく海外にもファンがいます。
我楽洞では、円山応挙の作品の買取を強化しておりますので、買取の際にはぜひご相談ください。
円山応挙作品の買取について
略歴
1733年 | 京都府亀岡市に生まれる。 |
1749年 | 狩野派の絵師石田幽汀に入門。花鳥画などを学ぶ。 |
1759年 | 京都風景の「眼鏡絵」を制作。 |
1765年 | 手がけた「雪松図」で独自の写生画様式を確立する。 |
1766年 | 応挙(まさたか)に改める。 |
1787年 | 妙法院真仁法親王の寵遇を受ける。 |
1795年 | 享年63歳。法名は円誉無之一居士。 |
円山応挙(まるやまおうきょ)は1733年に農家の次男として生まれた江戸時代中期の絵師です。円山応挙は「写生派の祖」と言われるぐらい偉大な画家で、日本画や掛軸などの作品を多く残しています。
10代のころに鶴澤派の絵師である石田幽汀(いしだゆうてい)に絵の基礎や技法を学んだとされています。その際、緻密な自然観察による細かな描写を得意としていました。20代では、京都の呉服商や玩具商に丁稚奉公し、その間にレンズを覗いて見る風景画である「眼鏡絵」を制作。中国の風景や京都の名所を描きました。
30代に写実主義の新進画家として認知されるようになり、「淀川両岸図巻」「難福図巻」を制作し、京都の町民から絶大な人気を集めました。そのころには裕福であった呉服商の三井家から経済的支援を受けながら作品を作り続けました。また門下には多くの画家が集まり「円山派」が形作られました。
有名な作品としては、国宝に指定されている「雪松図屏風」があります。この作品には筆の全体には薄墨を含ませその後、穂先だけに濃い墨をつけ、立体表現を行なう「付立て」という技法を用いています。また、重要文化財に指定されている「藤花図屏風」や「群鶴図屏風」といったものも有名です。1795年に63歳で逝去。
円山応挙の代表作品
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- 孔雀図
- 孔雀の羽が華麗な美しさを表現。紅白の牡丹からは高貴な印象が感じられます。
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- 虎図
- 当時、日本では実物の虎をみることができなかったため、猫の姿と虎の毛皮を参考に描いたそうです。
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- 藤花図屏風
- 付立とよばれる技法を用いた作品。藤の生命力と花房の物静かな美しさを表現しています。
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- 雪松図?風
- 国宝に指定された作品。白雪が松を覆い被せる様子を描いています。
円山応挙作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
円山応挙の作品には孔雀や鶴を描いた作品、あるいは虎や犬を表現した作品の他に、幽霊を表した作品もあります。作品のサイズにおいては、大きめの作品が好まれます。
保存状態は査定に大きく影響
作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
所載物・本に出てる作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。
円山応挙作品の買取に関してよくあるご質問
円山応挙の作品の買取をお願いしたいのですが、祖父からもらったもので贋物でないか心配です。
真贋の見極めは、経験豊富な我楽洞の鑑定士が行いますので、まずはご相談ください。