お知らせ | 2024年12月5日 2024年の年末年始休業日のお知らせ |
---|
柴田是真作品はすべての商品が我楽洞では高額買取対象です
柴田是真(しばた ぜしん)は蒔絵、工芸品を制作するとともに日本画も制作していた幅広い才能の持ち主でした。我楽洞では、この柴田是真の作品を買取しております。また初めての方でも安心してご利用いただけるように丁寧な説明を行なっておりますので、ぜひ買取依頼の際にはご相談ください。
我楽洞では、柴田是真の作品の買取を強化しておりますので、ぜひご相談ください。
どなた様であっても丁寧にご説明、査定を行いますので、初めての方でも安心してご依頼いただけます。
柴田是真作品の買取について
略歴
1807年 | 江戸の両国橘街に宮彫師柴田市五郎の子として生まれる。 |
1817年 | 古満寛哉(初代)に師事し蒔絵を学ぶ。 |
1822年 | 四条派の鈴木南嶺に師事し絵を学ぶ。名を是真とする。 |
1826年 | 浅草本願寺の依頼で障壁画を描く。 |
1830年 | 京都へ上り、四条派の画家岡本豊彦の弟子となる。 |
1831年 | 江戸へ戻る。南嶺に再会する。 |
1873年 | ウィーン万国博覧会にて進歩賞牌受賞。 |
1886年 | 皇居の「杉戸絵」を描く。 |
1890年 | 帝室技芸員になる。 |
1891年 | 逝去。享年85歳。 |
柴田是真(しばたぜしん)は1807年の江戸・両国に生まれた漆工家であり絵師、日本画家です。他の蒔絵師とは違い、下絵から蒔絵までのすべてを自身で行なっていました。新しいものへの探究心が強く、青銅塗・四分一塗・鉄錆塗・砂張塗・紫檀塗・墨形塗などの新技法を創り出しました。青銅塗(せいどうぬり)の地に、金の薄板(うすいた)や螺鈿(らでん)を多用した「五節句蒔絵手箱」など今までにない作品を生みだす一方、絵画についても研究・制作し続け、絵画と工芸の枠組みを超えて活躍しました。
柴田是真が11歳の時には蒔絵を学ぶために古満寛哉(こま かんさい)に弟子入りをします。16歳では、日本画家の大きな派閥である四条派の絵を学ぶために鈴木南嶺(すずきなんれい)に師事します。20歳のころには、その当時、人気が高まっていた浮世絵の歌川国芳が是真の絵に感動し、弟子入りを申し込むこともありました。24歳、天保元年(1830年)の時、四条派の絵についてさらに深く学ぶため、当時、絵画が盛んだった京都へ移りました。その1年後に江戸に帰り、鈴木南嶺と再会した際には、極めて進歩した是真の作品に感心され、それを機に「是真」を称するようになりました。
66歳の時にウィーン万国博覧会に「富士田子浦蒔絵額面」を出品し「Zeshin」の名は世界中に広まりました。明治24年(1891年)7月13日に85歳で逝去。浅草今戸の称福寺に葬られました。
柴田是真の代表作品
-
- 蟷螂
- 葉枝をつたって渡るかまきりを表現しています。素朴な画でも何度も見たくなる魅力のある作品。
-
- 雪中鷲図
- 雪が積もっている枝に留まった鷲を表現した一作。狐が雪の中に潜り込む様子も描かれています。
-
- 波文印籠
- 波の流れを表現した印籠。紐の部分には亀の甲羅があり、全体で海を表現しているように感じます。
-
- 鍾馗に鬼図
- 神様である鍾馗(しょうき)から逃げる鬼を描き、手前に飛び出てくるように表現されています。
柴田是真作品の高額査定ポイント
人気の作品なら査定額に期待
柴田是真の作品は日本画の他に、蒔絵を描いた工芸品も高価で買取しております。
保存状態は査定に大きく影響
作品にカビやシミ、日焼けあるいは破れ・破損がある場合には、査定に大きく影響してしまいます。普段から風通しの良く直射日光が当たらない場所に保管するのが良いでしょう。
鑑定書があれば査定がよりスムーズに
対象の作品に鑑定書があれば、査定の際に一緒にご提示ください。鑑定書があることによって一定の価値が確認でき買取がよりスムーズに行なうことができます。
所載物・本に出てる作品は査定額に期待
美術関連の雑誌や、本に掲載されている作品は、高価買取が可能です。
柴田是真作品の買取に関してよくあるご質問
柴田是真の作品に偽物が多いのは本当でしょうか?
どれくらいの贋作があるかは不明ですが、贋作が出回っている可能性はありますので、ご注意ください。