大阪府東大阪市と絵画の歴史
東大阪市は、大阪府の中央に位置します。市の東側には生駒山地が連なり、豊かな自然が残されていますが、東大阪市の大半は平坦な低地で、住宅地や工業地帯が広がります。東大阪市にはラグビーの聖地である東大阪市花園ラグビー場があり「ラグビーのまち」としても知られています。東大阪市の地域は、昔は海が広がっていました。次第に湖や湿地帯に変わります。奈良時代には生駒山の麓にあった入江は、万葉集にも詠まれました。平安時代になると、熊野詣や高野山に参詣に行く街道が市内を通るようになります。江戸時代になると新田開発が進むとともに、木綿の産地として知られるようになり家内制手工業が発達します。この時に培われた技術が、のちの時代における東大阪の町工場でのものづくりを支えることになります。1967年(昭和42年)に東大阪市が誕生します。現在、東大阪市は日本有数の中小企業の密集地になり、また、大阪大都市圏のベッドタウンとして、大阪市、堺市に次いで、人口の多い都市となっています。
東大阪市の名誉市民の一人に「司馬遼太郎」がいます。作家生活の大半を東大阪市で過ごし、膨大な資料をもとに生き生きとした人物像を描き出した歴史小説をはじめ、紀行、エッセイ、文明論などを発表しました。1993年(平成5年)に文化勲章を受章しました。1996年(平成8年)、逝去後に東大阪市の名誉市民に選ばれました。『街道をゆく』の挿絵を担当したのが、兵庫県西宮市にゆかりのある洋画家の「須田剋太」です。
東大阪市には「東大阪市民美術センター」があります。各種展覧会や市民の美術に関する活動の機会を提供するために、東大阪花園活性化マネジメント共同体が指定管理者として管理しています。
東大阪市にゆかりのある作家として「長谷川青澄」「深沢幸雄」を紹介します。長谷川青澄は、昭和から平成時代にかけて活躍した日本画家です。長野県で生まれた長谷川は、東大阪市に居住しながら創作活動を続け、1953年(昭和28年)から51年間にわたり院展に連続で入選しました。1999年には、東大阪市民美術センターの名誉館長に就任しています。
深沢幸雄は、昭和から平成時代にかけて活躍した版画家です。山梨県で生まれた深澤は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学後「中川一政」の水墨画の影響を受け、卒業後は「駒井哲郎」の影響を受け、銅版画の作品づくりを始めます。銅版画以外にも、陶芸や書、ガラス絵なども手がけました。
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【東大阪市の絵画買取対象作品】
日本画、洋画、現代アート、リトグラフ、掛け軸、浮世絵、版画、仏画、山水画、花鳥画、木版画、屏風、書、襖絵、ガラス絵、板絵、エッチング、シルクスクリーン、色紙、短冊、古文書、和本、手紙、葉書、古書、地図、肉筆、古筆、画賛、版画、油絵、水彩画、中国絵画、中国掛け軸、朝鮮絵画、その他希少価値が高い歴史的な絵画作品、その他有名作家作品
東大阪市での強化買取中の絵画作家
ロッカクアヤコ
1982年千葉県に生まれたロッカクアヤコは、指を筆に見立てたスタイルで、カラフルな色彩を持ち味とする女流画家です。ライブペインティングを主戦場とし、世界に活躍の場を広げています。モチーフである瞳の大きな少女と、ポップな色彩感覚が評価され、オークションランキングも急上昇中です。
2020年前には拠点をポルトガルに移し、欧州と日本を併用する形で展示会などの活動を続けています。2020年に千葉県立美術館で予定している個展「魔法の手ロッカクアヤコ作品展」は、自身初の国内公立美術館での開催とあって待ち望むファンも多いようです。
中川一政
1893年に、警察官の家庭に長男として生まれる、晩年まで描き続けた洋画家です。
父親の仕事の都合で、芦屋に大正2年~大正3年半ばまで滞在し、この時期に学校や有名画家に師事する事もせず、自身の感性をもとに油絵を描き始めます。大正3年10月に、巽画会展に「酒倉」を出品し、その際の審査員の一人「岸田劉生」に高く評価され入選。その後も、同展をはじめ「二科展」「草士社展」「春陽会展」などへの出品をつづけ、受賞を重ねます。
代表作に「漁村凱風」「薔薇」「箱根駒ケ岳」があげられます。生涯を通して絵画(洋画・水墨画・版画)以外にも、陶芸、詩、和歌、書など様々な美術作品を世に残しております。芸術分野における長年の功績が認められ、1975年に、文化勲章・文化功労者を受賞。美術品の蒐集も行っており、遺したコレクションの中に世界的に有名な「ゴッホ」の油彩画が残されていました。