堀柳女について
堀柳女(ほり りゅうじょ)は、日本を代表する衣装人形作家です。重要無形文化財「柳女人形」の保持者(人間国宝)としても広く知られています。
堀柳女は、1897年東京都港区に生まれます。幼少期に実の父を亡くし運送業を営む堀家の養女となり、22歳の頃に荒井紫雨から日本画を学びます。雑誌に絵を投稿したことから竹久夢二を知ることになり、書生として竹久夢二のアトリエに出入りするようになります。
竹久夢二のグループの思想に感銘を受けたことから独自の人形を制作することになり、日本画家から人形作家に転じます。竹久夢二らと人形創作グループ「どんたく社」を結成し、幅広く活躍の場を広めていきます。1934年には、鹿児島寿蔵らと「甲戌会」を結成。第一回帝国美術院展に出品した「文殻」が初入選を果たします。1936年には、銀座三越で第一回目の個展を開催します。
堀柳女が作り出す「柳女人形」は伝統的でありながら女性目線で作りだされる繊細なものになり高い評価を得ています。さまざまな功績がたたえられ、1955年には「衣装人形」の人間国宝に認定されることになります。1937年には作人形塾を開き、日展の審査員や日本工芸会の理事などを務め上げました。1967年には紫綬褒章、1973年には勲四等瑞宝章を受章しています。
代表的な作品の「瀞」は、おだやかな表情で直立した中国風の女性の像になります。堀柳女が作りだす美しい衣裳人形は国内のみならず、世界からも高い評価を得ています。
略歴
1897年 | 東京都港区に生まれる |
1930年 | 竹久夢二らと人形制作グループ「どんたく社」を結成 |
1933年 | 銀座三越で第一回個展を開催 |
1934年 | 野口光彦、鹿児島寿蔵らと「甲戌会」を結成 |
1936年 | 第一回帝国美術院展に出品した「文殻」が初入選を果たす |
1937年 | 創作人形塾を開く |
1949年 | 第五回日本美術展にて特選を受賞 |
1951年 | 日展審査員 |
1955年 | 重要無形文化財「衣装人形」保持者(人間国宝)に認定 |
1966年 | 日本工芸会の理事に推挙される |
1967年 | 紫綬褒章を受賞 |
1973年 | 勲四等瑞宝章を受賞 |
1984年 | 死去。享年87歳 |