野原貞明について
野原貞明(のはら さだあき)は、幕末明治に活躍した彫嵌細工の名工です。武蔵国の生まれで1924年(大正13年)に亡くなりました。武蔵国とは現在の東京都や神奈川県川崎市、埼玉県などです。彫嵌細工は貝や、宝石などを彫刻された木に嵌め込む技法です。高い木彫技術が必要となります。
野原貞明は、中山貞民と石川光明に師事しました。中山貞民からは、牙角彫と介甲象入を学びます。中国では7千年前から行われている工芸であり、伝統的な技術の継承が行われています。立体彫刻や透かし彫り、浮き彫りなどがある細工です。
その後、石川光明に師事した際、名を「貞明」とします。石川光明は1852年生まれの彫刻家で、凝った技工を駆使する作風で知られます。東京美術学校の教授や文部省の美術展覧会審査員などを歴任しました。野原貞明の作風は石川光明のような技巧的なものよりも素朴なものが多く、旭玉山に近いと評する専門家もいます。旭玉山は近代牙彫の礎を築いた人物です。
野原貞明は1889年に作品を出してから、さまざまな博覧会で受賞を重ねました。その結果、大正天皇御大典(大正天皇の即位式と大嘗祭の2つの儀式)のタイミングで東京美術学校より献上品の制作依頼を受けるほどになります。野原貞明の作品は数が少ないため、骨董市場に出ることは稀でまぼろしの名工とも言われています。
略歴
1858年 | 武蔵国に生まれる |
1889年 | 東京彫工舎へ出品 |
1924年 | 死去。享年66歳 |