生野祥雲斎について
生野祥雲斎(しょうの しょううんさい)は明治から昭和にかけて活躍した竹工芸家です。竹工芸初の重要無形文化財「竹芸」の保持者(人間国宝)としても広く知られています。
1904年大分県大分郡石城川村に生まれ、幼少期の頃より彫刻家や画家に憧れ19歳で竹工芸家の佐藤竹邑斎に師事し竹工芸を学びます。その後21歳で独立し、名を「夢雀斎楽雲」と称しますが、7年後京都妙心寺管長の神月徹宗より「祥雲斎泰山」の号を受け用いるようになります。
1927年になると大分市に居住し、大分県工業試験場別府工芸指導所に勤務し、商工技手として後進の指導にあたります。
1940年に初めて文展で初入選を果たし、その後1943年には第6回文展に出品した時代編盛籠「銘心華賦」が特選を受賞、1956年に第12回日展で「怒濤」が日展北斗賞を受賞、1957年に第13回日展で「炎」が日展特選・北斗賞を受賞するなど、輝かしい成績を多数収めます。1959年には日展会員となります。
1967年になると竹工芸初の重要無形文化財「竹芸」保持者(人間国宝)に認定され、1969年には紫綬褒章を受章します。1974年に69歳で亡くなりましたが、生野祥雲斎さんの作品は、大分市美術館に所蔵されています。現在でも数多くの作品が残されており多くのファンを魅了しています。
略歴
1904年 | 大分県大分郡石城川村(現別府市)内成に生まれる |
1923年 | 19歳の時、竹工芸家・佐藤竹邑斎に師事 |
1925年 | 独立し夢雀斎楽雲と称すが7年後、祥雲斎泰山を号とする |
1927年 | 大分市に居住 |
1938年 | 大分県工業試験場別府工芸指導所で商工技手として後進の指導 |
1940年 | 文展に出品し初入選を果たす |
1943年 | 第6回文展で時代編盛籠「銘心華賦」が特選を受賞 |
1956年 | 第12回日展で「怒濤」が日展北斗賞を受賞 |
1957年 | 第13回日展で「炎」が日展特選・北斗賞を受賞 |
1959年 | 日展会員となる |
1967年 | 竹工芸初の重要無形文化財「竹芸」保持者(人間国宝)に認定 |
1969年 | 紫綬褒章を受章 |
1974年 | 死去。享年69歳 |