林小伝治について
林小伝治(はやし こでんじ)は明治時代に活躍した尾張の工芸家です。七宝焼きの作品を世に残した人物でもあり、世界に広めた人物でもあります。
林小伝治は、現在の愛知県になる尾張の遠島村で生まれた人物で、文久元年に尾張七宝の技を広めた林庄五郎から七宝焼きの技法を学びます。
江戸時代末期、開港したばかりの横浜へ出向き外国人に初めて尾張七宝を販売して、明治政府の七宝焼輸出のさきがけとなります。尾張七宝とは愛知県で作られている七宝焼きになり、現在は伝統工芸品になっています。尾張七宝の特徴は、金属素地の上に釉薬を施す工法になります。
林小伝治は海外への販路を開拓するとともに、明治には遠島近隣の業者を束ねる組合の結成をしたり、名古屋に七宝組み合いを設けて、七宝補習学校を開設も実現しています。
林小伝治の技法は有線七宝になり、七宝焼きは花鳥を表現した非常にきれいで細やかな細工・色の表現などのデザイン力は群を抜いていているのが作品の特徴になり、希少価値が高いので、高値で取引をされています。
1867年パリ万博にて日本の七宝が出品されることになり、七宝焼は世界中に広まったと言われてます。尾張七宝は江戸時代から明治にかけて多くの尾張七宝が国内外の展覧会で展示されて、海外から多くの方たちが買い付けに来るようになったのも林小伝治の功績が大きいと言われています。林小伝治は、産業として美しい尾張七宝の発展に尽力した七宝家のひとりです。
略歴
1831年 | 尾張遠島村に生まれる |
1861年 | 林庄五郎から七宝焼の技法をまなぶ |
1887年 | 名古屋七宝組合を設立 |
1894年 | 七宝補習学校をひらく |
1915年 | 死去。享年85歳 |