小川破笠について
小川破笠(おがわ はりつ)は、江戸時代を代表する日本の俳諧師、漆芸家です。また、肉筆浮世絵を描いたことでも有名です。小川破笠が本格的に漆芸家としての活動し始めたのは18世紀の初頭のころの50歳を過ぎてからと言われているため、かなり異色の存在であったことでしょう。
生まれは、三重県(伊勢)と言われていますが江戸という説もあり明らかにはなっていません。俳諧は、福田露言に学んだ後、松尾芭蕉のもとで学びます。画の流派は不明と言われていますが人気絵師の英一蝶と交流があったことから、英一蝶に学んだのではとの説があります。1730年(享保15年)には市川團十郎や英一蜂と共同で「父の恩」を刊行しています。
青年期には、芭蕉庵に出入りし芭蕉の弟子、宝井其角、服部嵐雪らと親しく交友しており、1683年に其角が堀江町から芝に転居する際には嵐雪とついていき同居し蕉門の初期代表句集「虚栗」を編纂します。1694年に芭蕉が死去するとその後の約10数年の動向が分からなくなります。
再度、表舞台に登場すると漆芸家として名を高めるようになります。小川破笠の得意とした独特な漆芸技法は「破笠細工」と称されました。「破笠細工」は、蒔絵に貝、陶片、鉛、錫、牙角などを嵌めこんで作られる細工品であり、小川破笠はその創始者としても知られています。
1741年には師匠であった芭蕉の肖像画を描きます。小川破笠は芭蕉の弟子であり親しき中だったことから芭蕉の面影がよく伝えられてるとして歴史資料的に貴重なものとされています。
略歴
1663年 | 出生。生まれは三重県(伊勢)の人と言われているが江戸の生まれの説もある |
1683年 | 宝井其角の転居に服部嵐雪とついていき同居をはじめる |
1730年 | 市川團十郎や英一蜂と共同で「父の恩」を刊行 |
1741年 | 師匠「松尾芭蕉」の肖像画を描く |
1747年 | 死去。享年85歳 |