静岡県熱海市と絵画の歴史
静岡県熱海市は日本三大温泉に数えられるだけあって、古くから各界著名人の別荘地や滞在の場として利用されてきたことで知られています。そうした著名人のなかには、横山大観や梅原龍三郎といった絵画界のビッグネームも珍しくありません。
かつては熱海市長応接室に横山大観の名作「富岳」が飾られており、梅原龍三郎は自身所有の「熱海野島別荘」を油絵で描き上げているなど、当時の滞在ぶりを伺わせるところです。
それとは別に2020年の開館以来、SNSやメディア報道で話題をさらう「熱海山口美術館」でも世界の名画と触れ合うことができます。
そのコレクションもパブロ・ピカソの「花瓶と二人の裸婦」を皮切りに、オーギュスト・ルノワールの「少女像」や平山郁夫「初転法輪サルナート」、藤田嗣治「聖母子象」、岡本太郎の「作品」など国立クラスが目白押し。
現代アートの分野でも草間彌生・横尾忠則や村上隆といった名が連ねるため、人気の理由も明解です。なお、昭和57年に開館した熱海市の老舗の文化スポットで有名な「MOA美術館(MOA MUSEUM OF ART)」には、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」も収蔵されています。
熱海市は、天然温泉が豊富に湧き出る地域で観光地としても人気の高いエリアです。また、古くから世に名を残す人物なども頻繁に訪れている地でもあり、平安時代~鎌倉時代の武将「源頼朝」や天下人「徳川家康」などが挙げられます。明治~現代においても、政財界・文化人・芸術家など幅広い分野で活躍されている著名人が足繁く通う地でもあります。
多くの著名な芸術家も熱海市にアトリエを構え創作活動をおこなっておりました。代表的な作家として挙げられるのが、日本画家の「横山大観」と「池田満寿夫」です。
「池田満寿夫」は、熱海市海光町に自宅兼アトリエを構え油彩や版画・挿絵など多彩な才能を発揮しオリジナリティーあふれる作品を世に発表した人物です。そして、世界的に名の知れた「横山大観」は、美しい海と自然豊かな山脈に囲まれる熱海伊豆山の別荘で、移り変わる四季を眺めながら創作に没頭したと言われています。
1000年以上の長い歴史を持ち、横山大観・梅原龍三郎・藤田嗣治・池田満寿夫をはじめ、日本が世界に誇る芸術家や画家などに愛された熱海市で、日本絵画・西洋絵画・版画・油彩画・水彩画など幅広いジャンルの絵画を買取させて頂きます。著名作家の作品から、作者不明の絵画でも取り扱いしておりますので売却の際は、絵画買取我楽洞にご相談下さい。
絵画専門として数十年に渡る鑑定実績を元に、専門鑑定士が熱海市のご自宅に出張査定させて頂きます。
事前の絵画簡易査定をご希望の場合は、メールもしくはLINEにて売却希望作品の画像をお送りください。お品物のご説明と簡易査定金額をお出しさせて頂きます。
熱海市ゆかりの作家のご紹介
横山大観【日本画の巨匠】
近代日本画壇の巨匠はたまたミスター日本画家と称されていた横山大観ですが、作風は明確な線・輪郭を表現しない画法を用いた作品が多く、当時の評論家から正当な評価を中々受ける事が出来なかったと言われています。又、横山大観は熱海市をこよなく愛した芸術家の一人です。熱海伊豆山の別荘を創作拠点とし大観作品を発表しております。
その他にも、熱海市には「大観荘」と言う歴史ある宿が今もなお営業しております。大観画伯が訪れた際に、創業者の「中山翁」が名前を使わせて頂きたいと懇願した所、「ここからの眺めは雄大で、大観の名にふさわしい」と快諾した事が「大観荘」の由来と言われております。
池田満寿夫【多彩な芸術性を放った日本作家】
池田満寿夫は、俗にいう芸術家の枠を越え「画家」「版画家」「押絵画家」「彫刻家」「陶芸家」「作家」「映画監督」など多彩な才能を発揮し他分野で活躍した芸術家です。但し、知名度は高いが多才が故に絵画業界での評価があがりきらない側面もあります。作風の特徴としては、官能的なものが多くエロス作家と言われてます。
絵画作家としても評価はありますが、陶芸作品として発表した「般若心経」「古代幻想」シリーズは、池田満寿夫の代表作品として版画を超えるとの評価をしている人が多いのです。1979年に活動拠点であった米国より帰国し、1982年に熱海市に住居兼アトリエを構え数多くの作品を世に残した日本を代表する絵画作家です。
梅原龍三郎【日本洋画界における昭和時代のドン】
フランスでの留学で培った油彩画の技法に桃山美術や琳派などの日本的美術を巧みに取り入れ、ダイナミックで豪華な世界観を表現している作品が多く代表作として、「霧島(栄ノ尾)」「北京秋天」「紫禁城」「雲中天壇」「立裸婦」「横臥裸婦」が挙げられます。1952年には、文化勲章を受章し1973年には、フランス芸術文化勲章コマンド―ル章受章を拝受しております。
又、梅原龍三郎は画家人生80年のうち半分の40年を熱海市の伊豆を制作拠点として活動していました。洋画家の柏木俊一に伊豆の景勝地を教えられ、豊かな自然を眺める事で制作意欲が掻き立てられ天才的な色彩感覚が開花し、世界中から高い評価を受ける作品を次々に発表した昭和を代表する日本洋画界のドンと言われております。