平野富山について
平野富山(ひらの ふざん)は、明治~大正~昭和時代にかけて活躍した日本を代表する彫刻家であり人形作家です。平櫛田中作品の彩色を手掛けるなど彩色木彫家としても有名です。
1911年静岡県清水市に生まれた富山は、18歳に上京し人形師の池野哲仙に師事します。池野哲仙の下では木彫の彩色を学びます。1941年になると斎藤素巌に師事し彫塑を学びます。
翌年の第5回新文展に出品した「女」が初入選を果たし、1956年の第12回日展では「若人」が特選を受賞、1959年の第2回新日展に出品した「裸婦」も特選を受賞するなど、輝かしい成績を多数収めます。
自分の作品を制作する傍ら、平櫛田中作品の彩色も手掛けていた富山は48歳のとき、平櫛田中が手掛けた「鏡獅子」の彩色もおこなっている。「鏡獅子」は、六代目尾上菊五郎をモデルに作られた高さ2メートルもある彫刻作品で現在でも国立劇場の大劇場のロビーに飾られています。
1962年には、第58回太平洋展に出品した「現」が文部大臣賞を受賞するなど後年になっても活躍を続けます。1963年には日展会員となり、66歳の頃、号を「敬吉」から「富山」に改めます。
1989年に78歳で亡くなりましたが、平野富山の作品は、展示会などでみることができます。現在でも数多くの作品が残されており多くのファンを魅了しています。。
略歴
1911年 | 旧清水市江尻(現・静岡県清水市)に三男として生まれる |
1928年 | 上京し、人形師・池野哲仙に師事する |
1941年 | 斎藤素巌に師事する。構造社研究所に入り彫塑を習う |
1942年 | 第5回新文展に出品した「女」が初入選 |
1949年 | 第5回日展に「若者」を出品 |
1956年 | 第12回日展に出品した「若人」が特選を受賞 |
1958年 | 平櫛田中作の「鏡獅子」の彩色をおこなう |
1959年 | 第2回新日展に出品した「裸婦」が特選を受賞 |
1962年 | 第58回太平洋展に「習作T」「現」を出品。「現」が文部大臣賞を受賞 |
1963年 | 日展会員となる |
1976年 | 号を「敬吉」から「富山」に改める |
1982年 | 日展評議員となる |
1989年 | 死去。享年78歳 |