山本豊市について
山本豊市(やまもと とよいち)は、文化功労者であり、東京芸術大学名誉教授を務めた日本を代表する彫刻家の一人です。
1899年に東京新宿に生まれ、中学校を卒業した後に彫刻家を志します。1917年に戸張孤雁に師事し太平洋画会研究所でデッサンを学びます。1921年の第8回再興院展では「胴」が初入選します。
1923年には、フランスに渡り、パリのグランドシュミエールで数多くの事を学んだ後に、日本人においては唯一アリスティドマイヨールの直弟子となります。マイヨールのもとで4年間彫刻を学んだ後1928年に帰国し、乾漆技法を現代彫刻に活かして、オリジナルの作風を展開していきます。
1950年には清水多嘉示らとともに新樹会に迎えられ、1951年に初めてサンパウロビエンナーレに出品を果たします。1953年には「頭像」「エチュード」が第5回毎日美術賞を受賞し、この年に東京芸術大学の教授に就任します。1966年には東京芸大陳列館で「山本豊市彫刻回個展」を開き、翌年には愛知県立芸術大学の教授となります。その他にも1958年には「女の顔」が芸術選奨文部大臣賞を受賞し、1983年には文化功労者となりました。
代表作としては、1925年のブロンズ像「腰かけた女」や、「エチュード」があげられます。「とぶ」、「岩戸神楽」なども山本豊市さんの代表的な作品と言えるでしょう。乾漆の質感や流麗な形態や動感などを持つ作品も数多く制作しました。
1987年2月2日に肺炎のため東京都新宿区の自宅で87歳で亡くなりました。現在山本陽一さんの作品は、愛知県美術館や札幌芸術の森美術館、東京芸術大学などに貯蔵してあります。
略歴
1899年 | 東京新宿に生まれる |
1917年 | 戸張孤雁に師事 |
1918年 | 太平洋画会研究所でデッサンを学ぶ |
1921年 | 第8回再興院展に出品した「胴」が初入選 |
1923年 | 日本美術院の院友に推挙される |
1924年 | 渡仏 |
1925年 | アリスティド・マイヨールに師事 |
1928年 | 帰国 |
1930年 | 日本大学で講師になる |
1936年 | 第1回改組帝展に乾漆像「岩戸神楽」を出品 |
1950年 | 新樹会に清水多嘉示らとともに参加 |
1951年 | 第1回サンパウロ・ビエンナーレに出品 |
1953年 | 東京藝術大学教授となる |
1955年 | ブリヂストン美術館で第1回個展を開催 |
1956年 | 第28回ヴェネツィア・ビエンナーレに出品 |
1957年 | ブリヂストン美術館で第2回個展を開催 |
1960年 | 大船観音の修復制作が完成する |
1961年 | 日本美術院彫刻部が解散。新たにSAS(彫刻家集団)を結成する |
1963年 | SAS(彫刻家集団)と国画会が合同し、国画会会員となる |
1972年 | 勲三等瑞宝章を受章 |
1983年 | 文化功労者となる |
1987年 | 自宅で死去。享年87歳 |