佐藤忠良について
佐藤忠良(さとう ちゅうりょう)は、戦後の日本を代表する彫刻家で、国内外を問わず高い評価を受けた人物です。
1912年に宮城県黒川郡大和町で生まれた佐藤忠良は、幼少期に父親が亡くなり北海道の夕張で過ごします。上京して東京美術学校の彫刻科に入学し、卒業後は兵役に召集されます。終戦後はシベリアの抑留生活を経験し、帰国後に作品の制作を再開します。
1952年には制作したブロンズ像「群馬の人」を世に出し、大きな注目を集めます。「日本人の顔」をテーマにして制作した作品では高村光太郎賞を受賞します。教え子をモデルにした「帽子」シリーズは、世界的な知名度を得て佐藤忠良の代表作となります。おおきなかぶの挿絵や子ども像、女性像でも知られる佐藤忠良は、フランス国立ロダン美術館展の個展も有名です。
人間の美を追求し続けた佐藤忠良は、戦後の日本を代表する彫刻家「舟越保武」との友情でも広く知られています。舟越保武は高村光太郎が訳したロダンの言葉に感動して彫刻家を目指したといわれています。東京美術学校で出会った二人は終世の友情を結びます。深い絆で結ばれていた佐藤忠良と舟越保武は、戦後の彫刻界を力を合わせて牽引します。
1981年にはパリの国立ロダン美術館で日本人初の個展「佐藤忠良展」を開くなど、数多くの功績により日本だけでなく国際的にも高い評価を得た彫刻家です。
略歴
1912年 | 宮城県黒川郡に生まれる |
1919年 | 父が死去したため、母の実家、北海道夕張町に移る |
1932年 | 上京し、川端画学校にて絵画を学ぶ |
1934年 | 東京美術学校彫刻科塑像部に入学 |
1939年 | 東京美術学校を卒業。同期の舟越保武ら7名と共に新制作派協会彫刻部の創立に参加 |
1940年 | 結婚 |
1944年 | 兵役に招集される |
1948年 | シベリア抑留生活より帰還し、制作を再開する |
1954年 | 第1回現代日本美術展佳作賞を受賞 |
1959年 | 東京都杉並区永福にアトリエを構え、死去するまで当地に在住 |
1960年 | 第3回高村光太郎賞を受賞 |
1966年 | 東京造形大学教授に就任 |
1974年 | 第15回毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞 |
1975年 | 第6回中原悌二郎賞を受賞 |
1977年 | 第5回長野市立野外彫刻賞を受賞 |
1981年 | パリの国立ロダン美術館で日本人初の個展「佐藤忠良展」を開く |
1986年 | 東京造形大学名誉教授に就任 |
1989年 | 1988年度朝日賞を受賞 |
1990年 | 宮城県美術館内に佐藤忠良記念館が設立される |
1992年 | 第41回河北文化賞を受賞 |
2011年 | 老衰のため自宅で死去。享年98歳 |