流正之について
流正之(ながれ まさゆき)は、長崎県出身の彫刻家です。ニューヨーク世界貿易センターに設置されていたシンボル「雲の砦」を制作した世界的な彫刻家としても知られています。また、刀鍛冶やゼロ戦のパイロットを経験していることでも有名です。
1923年に長崎県で生まれた正之は、1942年に立命館大学法文学部進学した後に海軍飛行予科練習生になり、ゼロ戦のパイロットになりますがやがて終戦を迎えることになります。終戦後は独学で彫刻を学び、1963年には渡米し彫刻の勉強を本格的に学びます。ニューヨーク世界博では 日本館の壁に600トンの石を使い、壁画「ストーンクレージー」を制作し、1975年にはニューヨーク世界貿易センターに約250トンの石を使い、巨大彫刻「雲の砦」を制作します。
また、流正之は庭園造りの職人としても知られており、彫刻の技術を活かしいくつかの庭園を作庭したと言われています。代表作として「東京天理教間庭園」や皆生温泉の「東光園」などが知られています。
日本に帰国後に香川県高松市の郊外に建てられたアトリエは、現在では「ナガレスタジオ 流政之美術館」になっており、代表作の「ナガレバチ」や「サキモリ」などの作品が展示されています。
略歴
1923年 | 長崎県に立命館大学創設者の中川小十郎の子として生まれる |
1936年 | 京都に移る |
1942年 | 立命館大学法文学部へ進学 |
1943年 | 立命館大学を中退し、第14期海軍飛行科予備学生になる |
1955年 | 日米戦没パイロット追悼のため、最初の個展「飛行空間」を開く |
1960年 | 作品「受」がニューヨーク近代美術館の永久保存作品に選ばれる |
1963年 | 渡米 |
1964年 | ニューヨーク世界博覧会で壁画「ストーンクレージー」を出展 |
1967年 | 最年少44歳で香川県文化功労者に選ばれる |
1974年 | 日本芸術大賞を受賞 |
1975年 | ニューヨーク世界貿易センターのシンボル巨大彫刻『雲の砦』を作成 |
1966年 | 庵治半島東の岬にアトリエの建設を始める |
1975年 | 日本に帰国 |
1983年 | 奥尻島の「北追岬」などで吉田五十八賞を受賞 |
1987年 | 日本経済新聞「私の履歴書」に自伝を掲載 |
2005年 | 北海道知事公館に「サキモリ」を作成 |
2018年 | 老衰のため死去。享年95歳 |
2019年 | 「ナガレスタジオ 流政之美術館」が開館 |