松平不昧について
松平不昧(まつだいら ふまい)は、松江藩の七代目藩主で、本名は松平治郷(はるさと)、江戸時代の代表的な茶人として有名です。
不昧(治郷)は、1751年に六代目松江藩藩主・松平宗衍の次男として生まれ、17歳で家督を継ぎ七代目藩主となります。その当時、松江藩は度重なる天災等により破綻状態にありましたが、松平不昧は藩の人員体制見直しや歳出削減に力を入れると共に、産業振興策で収入増を図り藩の財政を立て直したことから「松江藩中興の祖」とされています。
その一方で、松平不昧は十代のころから茶の湯や禅学も熱心に学んだ茶人としても知られています。藩主となった翌年に伊佐幸琢に師事し石州流を学びます。
藩財政を立て直した後は、当時の大名家などが次々と巷に散逸した茶道具の収集に力を注ぎます。900点以上に及ぶ収集品は「雲州名物」と呼ばれ雲州蔵帳に記されています。
また、自らも石州流を基本としたうえで、他の流派も参考にして武家茶道を「不昧流」を確立します。不昧流は細かい作法や形式にこだわることなく、誰もが気取らずに茶をふるまいお菓子を楽しむことが特徴です。そのお菓子も不昧公に想いを馳せた「不昧公御好み銘菓」のブランドとなっており、松江市の名物として人気です。
また、不昧公ゆかりの茶室「菅田菴」は松江藩の家老であった有沢家の山荘に設けられ、現在では国の重要文化財に指定されています。不昧公の茶の湯の思想を知ることのできる最も象徴的な遺構でもあり、松江市を訪れる観光客の人気スポットとなっています。
略歴
1751年 | 六代松江藩藩主・松平宗衍の次男として生まれる |
1767年 | 17歳で家督を継いで七代目藩主となる |
1769年 | 麻布天真寺・大巓和尚のもとで禅の修行を積む |
1771年 | 石州流怡渓派の皆伝を受ける |
1771年 | 大巓和尚より「不昧(ふまい)」という号を授かる |
1779年 | 明々庵(めいめいあん)を建てる |
1787年 | 自著「古今名物類聚(ここんめいぶつるいじゅう)」の序を著す |
1782年 | 朝日丹波の隠居後に財政状況が悪化 |
1790年 | 「菅田菴(かんでんあん)」(重要文化財)を建てる |
1802年 | 茶事改正の達しを出す |
1806年 | 大崎下屋敷へ隠居し、剃髪して「不昧」を号す |
1811年 | 「瀬戸陶器濫觴(上中下三巻)」を著す |
1818年 | 逝去。享年68歳 |